1992年04月01日

証明 prove 0














 公園には小さな弁天様を祭る社があった。かつては弁天様こそが主として、敬い崇められていたが、時代が過ぎ、今では忘れられつつあった。池が埋められ、周りが住宅地となると、公共の利益の名の下に、整備され、子供の遊ぶための土地となった。
 しかし、公園の態をなしていながら、今でも何かを感じるのか子供の姿は、今日も二人を数えるだけだった。
 公園にある木は茂った柊。その緑の中で桜が咲いていた。既に落花の時期を迎えているのか花びらが風に舞っている。
 子供の一人は落ちてくる花びらを見ていた。
 名前は天見四郎という。近所に住む幼稚園児だった。
「しろちゃん」
 風に併せて落ちていく花びらは、青い空という水面に舞うようで見ていてあきない。
 声をかけられたせいで邪魔をされて、四郎は少しばかり邪険に思いながら振り返った。そこには姉の五香が立っていた。
「何か変な感じがするの。帰ろう」
 時折五香はそのようにいうし、当たることも多かったが、穏やかな日差しや、綺麗な景色はそんな五香の予感よりも、ずっと明るく強かった。
「まだ明るいよ」
 姉から目をそらして再び桜を見た。
「もう本当に帰るの」
 いつものように怒って地面を蹴っている音がする。それでも桜を見続けていると姉がぶつかってきた。
 『何すん』だよと言い掛けて四郎は黙った。姉は震えていた。
「どうしたの」
「見えないの」
 桜の花びらが一斉に散った。
 花霞の中、影が一つ。しかし、その影の根本には誰もいない。
「そこ」
 五香の手が公園の一点を指さす。姉の声に触発されたように女の子は立っていた。
 喪服を思わせる黒いワンピースに包まれた身体は、それほど大きくはない。年は四郎とそう変わらない。十にはいっていないだろう。顔は綺麗を通り越して、人形であるかのように整っている。
「あなたかな。それともきみ?」
「逃げろ」
 姉をかばって前に出る。
 四郎は喧嘩には自信があった。中学生を相手に喧嘩して勝った事があった。武道家という浮き世離れした祖父の虐待めいた特訓で、自分が強いのは解っている。
しかし、この黒衣の女の子を前に思い出されるのは、『戦わなくて済むなら戦うな、勝てないなら逃げろ』という言葉だ。
 四郎は構えを取った。脇を締め、半身を向ける。体を小さくするそれは急所を守るための構えだ。
 女の子は手を挙げた。
 軽い振り。来るとわかる。だから、受け止めた。右腕の骨が小さく音を立てた。痛みで手がしびれている。それでも女の子に飛び込む。
「もう一撃」
 右腕が痛く、一瞬、早さが揺るんだ。
「斬れろ」
 声がかかった。手が四郎の上に掲げられていた。振り下ろされた手を今度は交わした。真横で地面が切り裂かれた。
 女の子は手を振り下ろしたまま、笑みを浮かべた。
「少しはできるのね」
 女の子は四郎を見つめた。
「くっそう」
 恐れに心が折れそうだ。いったいどれくらいこうして向かい合っているのか。
「あきちゃった」
 声は真後ろでした。目の前にいた女の子の姿はない。
 振り返れば女の子が。その向こうには走って逃げていく姉の姿がある。
 後ろに回られた。逃げなくてはいけない。そう思ったのに一瞬、匂いに我を忘れた。
 清らかな。そういっていい香りがした。しかし、その清らかさは澄みすぎていて周りを殺す。そんな香りだ。
「感覚の一部は開いているのね。二人まとめれば一人分」
 頭を捕まれた。左手ではがそうとするが動かない。先程腕の中で響いたのと似た音が頭でした。
 砕ける。そう思った瞬間、右腕が上がった。無我夢中で動かした右腕が女の子の顔面にあたった。
 四郎は地面を転がるようにして、女の子から離れた。いや、逃げたのだ。
 無茶をした右腕が痛さすらなく、垂れ下がっているのが不気味だった。
「お前」
 女の子は楽しそうに笑った。
「お前、名前は何というんだ」
「いう前にそっちが名乗れ」
 女の子の目が公園の垣根に向けられた。そこには柊が植えられてここが神域であるのを主張している。
「柊」
「嘘付け」
 四郎は怒鳴った。
「嘘じゃないけどね。名前を聞かれたのは今初めてだから」
「なんだそれ」
 女の子の顔がひきつったように硬くなる。それは怒りだ。人形めいてきれいなだけにその怒りは恐ろしい。
「うるさいなあ」
 柊は吐き捨てるように言った。
「出来損ないの癖に」
 少女は手を上に構えた。
「まあいい。一つにしてからその話は聞くよ」
 今までとは違う。遊びではない一撃が来るのは分かった。
「気楽に川を渡って」
 意識を集中しろ。腕の動きを、視線を。
 だから、女の子は自分にまったく触れていないはずだった。
 そんな思いも裏腹に体が崩れた。体に力が入らない。腹の底から沸き立つようなものはあるのに、手にも足にも命令がいかない。
「まだ残っているんだ」
 倒れた自分を見下ろしている顔。
「これ愛が好きな曲なんだけど」
 子守歌が聞こえた。体の感覚がなくなっていく。深い眠りが四郎を包んだ。


posted by 相会一 at 10:08| Comment(0) | BeforeBabel PANDORA | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

1999年07月15日

降誕 nativty












7月15日
 星明りに照らされながら小原紅葉は急ぎ足で学校から家への道を歩いていた。
  8月に行なわれる劇の発表に備えて、峰台中学校の部活動は、放課後の許されるぎりぎりの時間、7時過ぎまで続いていた。
  紅葉も練習に熱の入った一人だった。と言うよりもっとも熱の入った人間かもしれない。
  主役だからということもあるがそれだけではない。峰台中学校の演劇部に入った時から『ハムレット』のオフィーリアや、『ローマの休日』の王女など、主役を務めてきた。二つとも紅葉の好きな芝居だ。2つとも紅葉は全力で演じた。でも今回の芝居は紅葉の中で違う価値をもっていた。
  芝居の名を『PANDORA』という。ギリシア神話に描かれるパンドラの箱をモチーフに作られたもので、3年ほど前に公開された。
  それもただ一回。TDLに程近い駐車場で一回だけ。舞台もテントであったし、舞台背景といったら夜景のみであった。
  それでも小学生だった紅葉は母の葉子と一緒に見て、演じるということに目覚めたようなものだった。
  紅葉は空腹を覚えた。舞台に立っているときは集中してしまって何も感じてないが、こうして小原紅葉に帰ると身体はもう立っていられないくらいだし、お腹も音が止まらないくらい空いてしまっている。
「恥かしいなあ」
  誰もいない事に感謝しながら紅葉は足を速めた。
  紅葉の家のある宮本は戦前からの家が多く、塀は高く薄暗い。その中で怖いのは塀から飛び出して見える木々だ。
  幼稚園の頃から、木々が童話や、子供の頃見たディズニーの映画のように、いたずらしてくるような気がしてくる。
[あいかわらずこの道長いな]
  ぼんやりと歩いていた紅葉は立ち止まって周りを見た。
「あれ?」
  塀の上の木々は今までと変わらず鬱々と茂っているが、そこは知らない場所だった。振り返ってみれば同じような道がずっと続いている。
  紅葉は笑った。毎日のように通っているこの道が知らない場所のわけは無かった。
[気のせい気のせい]
  街灯の薄暗い輝き、高い塀、古めかしい煉瓦の舗装。疲れもあってきっと錯覚してしまっている。
  紅葉の後ろの方で何か音がした。
「気のせい気のせい」
  そう口に出した程、聞こえてきた音は大きく、気のせいだとはどうしても思えないものだった。
  紅葉が振り返ると暗がりがあるだけだ。街灯がぱちぱちと音を立てた。遠くからまるで何かが伝わってくるように街灯が次々と明滅する。
  一際大きく街灯がはじけた。
  闇の中、赤い火が二つとともっていた。紅暗がりと思ったものは大きな犬だった。
  火に似た目が紅葉を射すめている。紅葉は犬を見た。
  どうしてその赤い火のような目なのか。充血しているわけではない。
  疑問が頭の中で弾いた。それは直ぐに終わった。犬がくると疑問は悲鳴になって響いた。
「こないで」
  犬は笑うように大きく口をあけると飛び掛った。
  光が踊った。
  そう思った刹那、犬の身体は宙で止まっていた。
「aNNu」
  紅葉に襲い掛かってきた犬は情けない声を上げながら地面に転がった。犬の背には何かナイフのようなものが突き刺さっている。
  驚きと恐れに動けない紅葉はのた打ち回る犬を見つめた。
  紅葉と犬の目が合った。
『なに、これ?』
  赤い犬の目は何か紅葉の中で不快感を与えた。
  犬の目に見えるものが本能のもたらしたものではなく、知性のもたらしたもののように思えた。獣性のもたらす衝動を感じさせる怒りではなく、それ以外の何かだ。
  しかしその何かに捕らえられたように紅葉は動けずに立ち尽くしていた。
「逃げれば」
  冷やかな響きを持った声だった。
  紅葉は声の方を見た。
  薄暗い街灯を背にして紅葉より少し年上と思われる見慣れぬ制服姿の少女が立っている。
  立ち上がった犬は少女に向かい襲い掛かった。少女の口元に小さな笑みが漏れるのが紅葉には見えた。
「失せろ」
  少女の手には刀が握られていた。流れるように動いた手が犬の身体をなぞる。
  犬の身体は切り裂かれていった。
  土砂降りのような降りかかる血を紅葉は見た。だが、血は地面に落ちる前に宙できえていく。犬の姿もぼやけたと思うと実体を無くし、暗闇だけがそこに残っている。
「使いか」
  少女は小さく呟いた。
「ありがとうございます」
  紅葉は震えの残る声で言った。
「夜道には気をつけなさい」
  少女は紅葉に背を向けて歩き出した。
「あの」
  風が吹いて砂を巻き上げた。
  紅葉がまたたいた間に少女の姿は消えていた。

7月16日
 8時になって校内放送のT・スクエアの音楽が聞こえてくると、登校してくる人間が増えて、それに負けないくらいクラスの中で飛び交う声が大きくなった。
  峰台中学校3年G組のいつもの朝の風景だった。
  小原紅葉は窓際の自分の席に座り、横の小松成美と昨夜の事を話していた。
  部活帰りにあった昨夜の異変は紅葉に強い印象を残していた。
  あの少女の事や犬のこと。見慣れたけれども違う世界。
「そんな事があったんだ」
  紅葉の犬と少女の事を熱心に話したのに成美の答えはそんなものだった。紅葉は少し非難をこめながら言った。
「本気で聞いてる?」
「当たり前じゃない。親友の言葉を信じないわけないでしょ」
  熱心過ぎてふざけているのが分かる成美の言葉だった。紅葉は頬を膨らませた。
「紅葉、普段ね、竜になれる男の人がタイプとか言っていたら信じて貰えるのも信じて貰えなくなるのよ」
「うっ」
(いつも言ってるな確かに)
  紅葉はちょっと古風な家長の四兄弟の長男を思い出した。
  予鈴が鳴って、待っていたように担任の村上春子が入ってきた。成美はあわてて自分の席に戻っていく。
「おはようございます」
  いつものようにのんびりとした村上先生の声だった。
「どうぞ入って」
  いつもと違い後ろから一人の少女がついてきている。
「今日から新しいクラスメイトが加わります。五月さん、挨拶をどうぞ」
(静かそうな子だな)
  それが紅葉の感想だった。
「五月明です。宮崎県の宮崎中学から来ました。よろしくお願いします」
  挨拶して頭を下げるとメガネにまで長い前髪がかかった。
「じゃあ、席は小原さんの横が開いてるわね」
  明は軽く挨拶すると紅葉の横に席に座った。
「小原です。よろしく」
  紅葉の笑顔に明は小さく微笑んで返した。




「ごめん遅くなっちゃたね」
  小原紅葉の言葉に五月明は首を横に振った。
  傾いた日が差し込む穏やかな春の宮本を二人は歩いていた。
  転校初日、部活見学をしていた明は最後に紅葉のいる演劇部を訪れた。演劇部が活動している旧体育館は学校の中で一番駅に近いこともあって、校舎から順に部活動しているところを順番に回ってくると最後になる。
  結局、明は気に入ったようで練習が終わるまで演劇部の見学しており、紅葉と二人で帰る事になった。
「何か大きく見えた」
  小柄なので紅葉からするとかなり嬉しい。
「いい女優さんなんだね」
「ええと、コツがあるの。心の中でいう時は言うほうの逆を見てまず言うとか。手とか指先とか意識して身体を動かすとか」
  明は身振りを手振りをいれて説明を始めた。明は小さく首を横に振った。
「そういうのとは違うの。まるであなたがパンドラみたいだった」
「照れちゃうな」
  紅葉はちょっと顔を赤くした。
  舞台の上では何でもできるのに、こうして素の時に言われると紅葉は恥かしい。
  にこやかに答えていた紅葉の足が止まった。そこは昨日犬にあった辺りだった。
(怖くない、怖くないよ)
  思い出された恐怖が心に満ちようとしていた。血の気がひくのが自分でも分かる。
  紅葉の手が暖かいものに包まれる。明が紅葉の手に重なっていた。
「ごめんぼんやりしちゃって」
「だいじょうぶだよ」
  優しい明の声なのに、つい気になって紅葉はきつい声で言った。
「何がだいじょうぶなの?」
「顔真っ青だし、体調悪いんでしょ。でも、もう元気みたいだね」
  あっさりと明は言った。ただ、心配しているのが分かる明の顔を見て、紅葉は小さく笑った。
「そうだね、ごめんね」
「紅葉」
  明は不意に言った。
「え?」
「友情はファーストネームを呼び合うことから始まる。イギリスの諺。私も名前で呼ぶから、紅葉も明って呼んで」
「でも五月さん」
「明よ」
「明?」
「なに?」
  名前を呼ばれて嬉しそうな明の顔を見て紅葉も笑顔を浮かべていた。


7月17日
 小原家の朝は静かに始まる。平日であろうと土日であろうとそれは変わらない。
  自分の部屋から紅葉は足音を立てないようにダイニングキッチンに向かった。
  翻訳家をしている母葉子は一家二人の生活費をひねり出すために、締め切りが重なると徹夜もしょっちゅうだ。きっと朝まで仕事をして、うとうとしているであろう母親を起こすのは悪い。とはいうものの、朝食の支度を静かにするのは結構難しい。
  炊き立てのごはんと、なまたまご、昨日の残りの味噌汁、緑茶という感じだ。
  音量を絞ったテレビを見ながらごはんを食べ始める。
  紅葉には関係ない世界がテレビの向こうに広がっているのがいつもの姿だった。
  どんな大きな不幸でも、小さい幸せも。良いことも悪いこともテレビを通せば、それは娯楽になる。
  でも、今日は違っていた。
「ああ」
  紅葉は箸を止めて、テレビの中を見つめた。そこに映っているのは同じ町内にある小学校だった。
『うさぎ13匹が殺されていたのを飼育係の女子生徒が見つけました。警察では何者かがフェンスを破り、犬を離したと見て捜査を進めています』
  ウサギ小屋の映像が映り、すぐにスタジオに切り替わる。
  紅葉は嫌な気持ちになったままテレビを消した。そのまま食事の手も止まってしまう。
  ほんの少しだったが、うさぎ小屋の床を染めていた黒い血が想像を広げていく。血は黒さを失い鮮やかな赤にと代わり、
「おはよう」
  紅葉は声の方を向いた。
  目をこすりながら起きてきた母親の葉子の姿があった。
「お茶飲む?」
  紅葉は答えを待たずに湯飲みを用意し、母親にお茶を渡した。
「起きてくるなんてめずらしい」
  紅葉に渡された茶を飲みながら葉子は笑った。
「今日は何の日?」
「?」
  葉子はにっこりと笑うと紅葉は眉を潜めた。こんな顔をする時の母親は怒っている時が多い。もっとも母が怒る原因は紅葉ではあるのだが。
「今日は有馬先生のところに行く日でしょ」
  紅葉の顔が崩れた。
「忘れてた」
  葉子はため息をついた。
「今日の5時から」
「あの今日も練習があって・・・」
「一週間前に言ったでしょ。劇をがんばるのもいいけど、先生のところに行って貰うのが、わたしの条件なんだからちゃんと行くようにね」
  紅葉は泣きそうな顔で葉子を見ている。
「分かった。じゃあ、6時にお願いしてみます」
「ママ大好き」
  子供のように抱きついてくる紅葉に向かい葉子は言った。
「ばか言ってないで早く用意して。遅刻しちゃうわよ」
「分かった」
「顔色悪いけどちゃんと寝て・・・るわね。昨日も十時には寝ぼけて歌ってたものね」
「ほんと?」
「ええ。そのおかげで仕事がはかどること」



 紅葉は通学路を早足で歩いてていた。既に始業時間ぎりぎりの事もあって、本当は走ってしまいたい。
  だが、さっきから誰かにつけられているような気がしていた。気のせいかもしれないが誰かの視線を感じるのだ。
  学校でさんざん言われてきたくらがりに出る変質者の事を紅葉は思い出していた。ただ、今は朝。こんな時間に出る痴漢がいるとも思えなかった。
  朝のニュースの映像が浮かんだ・・・学校までもうすぐだ。
「痛」
  紅葉は誰かの背中にぶつかった。
「ごめんなさい」
  紅葉のぶつかったのは20代半ばくらいの男だった。
「大丈夫?」
  男の差し出された手を掴んで紅葉は起き上がった。
「すいません」
「お詫び代わりに少し話を聞かせてもらえないかな」
  紅葉は男の腕章に気付いた。テレビ局のマークが描かれているのを見て紅葉は朝の放送を思い出し顔を強張らせた。
「ぶつかったのは謝ります。でも、すいません」
「本当に少しでいいんだけど」
「そんなにきつい事言わないで。かわいい顔が台無しだよ」
  助けを求めるように周りを見るが、時間的にもう学生の姿はない。
「紅葉遅刻するよ」
  紅葉の肩を捕まれたと思うとすぐに男から引き離された。小柄な紅葉の身体は気付くと校門を抜け、校内にあった。
「ありがとう」
  そこには五月明のメガネをかけた整った顔がある。
「もっと強くならないと」
「急がないと遅刻しちゃうよ」
  紅葉は校舎に向けて走り出した。



 紅葉は街を一人早足で歩いていた。朝もそうだが今日は随分早足だった気がする。
  蔦と煉瓦の壁に挟まれた道にかかる夕日が赤に世界を染めていた。その中で紅葉は朝の五月明の事を思い出していた。
「もっと強くならないと」
  そう言った明の目にあった真摯さを紅葉は怖かった。
「急がないと遅刻しちゃうよ」
  おどけた様子で答えるのが紅葉の精一杯だった。
  そのせいで授業に身が入らなかったし、何より明とうまく話す事もできなかった。
「頼りないものね」
  紅葉は呟いた。
  朝のこともだが自分は頼りない。ぼんやりとしているというか、なんとなく生きている感じだ。
  舞台に立っているときの自分は、自分が自分であることを残しながら違う誰かを側に感じる。いや、自分は横に立っていて誰かになっている。そんな時、世界でも相手にできるくらいなのに、こうして一人歩く自分は小さい。
「もっとしっかりしないと」
  そうしていると見えてきたのは一際目立つ看板だった。『有馬診療所』と大きく書かれている。
  大きな看板の横の小さな通用門を通り敷地の中に入った。一階建ての建物で、戦前に建てられたものだが、清潔な感じがして紅葉は好きだ。田舎にでも来た気分というのか安心する。
  中には黒と三毛と銀毛の三匹のネコがいた。ネコは紅葉に向かって一斉に目をやった。
「こんばんは」
  三毛が近づいてくると紅葉は中腰になってネコの頭を撫ぜた。他の二匹は興味無さそうに毛づくろいをしている。
  まるで子猫のように三毛は紅葉にじゃれついてくる。紅葉が三匹のネコと知り合ったのは5才の時だから10年くらいになる。
  普通のネコは野良猫で3年、飼い猫で10年というからもう老ネコと言えるが、この三匹は初めてあって会った時から変ったように思えない。
「よしよし」
  紅葉が三毛の喉をさすっていると診療所の扉が開き老人が姿を現した。
「おはよう紅葉君」
  その白衣姿の老人が有馬診療所長の有馬暁生だった。
「もう夕方ですよ」
「君は目醒めとるかね?」
「そんなに眠そうですか?」
  紅葉は目を擦った。有馬は頷くと、扉を大きく開けた。
「まあ、入りたまえ」
  有馬は診療所に入った。
「ばいばい」
  紅葉はネコに手を振ると診療所に入っていた。
  三毛はその様子をじっと見ていたが、大きな音でも聞こえたように外へと通じる門の方を向いた。

 紅葉の前にはたまごがあった。
  たまごには多くの星とそれ以上の空隙があった。
  星には惑星があった。
  惑星には大地があった。
  大地に街があった。
  街に家があった。
  家に紅葉がいた。
  紅葉の前にはたまごが・・・・。




「紅葉君」
  呼びかけられ紅葉は我に返った。
  紅葉の前にはたまごがあった。
  さっきまでの広がりが嘘のように、置かれているのはただ石をたまごの形にしたものだ。
  さっきまでこの中に紅葉はいたような気持ちがしていた。それは紅葉だけでなく、世界全てがこの中にあったような錯覚だ。
  いつの間にか部屋の中には灯りがともっている。窓の形に切り取ったように見える外は、もう暗くなっている。
「最長記録だね」
  有馬はにっこりと笑いながら言った。
  壁にかけられた時計を見ると8時近い。二時間あまり観想をしていたようだ。
  確かに今日はできが良かった。まるでたまごの中に本当に世界があるような気がした。そして自分は創造主であり、看視者であり、その中で生きている人間だった。中の紅葉、自分も同じように卵を持っていた。
「今日はここまでにしておこう」
「ありがとうございました。ああ、そう言えば夏に芝居をするんです。先生も良かったら身に来てください」
「君は演劇部だったなシェークスピアでもするのかな?。昔見た紅葉君のジュリエットは背筋が寒くなるほどだったが。もっとも私の趣味でなら君にはテンペストのエアリアルをしてもらうがね」
「いいえ。シェークスピアじゃないんです。先生がご存知かどうか分かりませんが『PANDORA』を」
  有馬の顔が一瞬強張った。
「ご存知ですか?」
「ああ。唐十郎の再来と言われた野外劇だね。もっとも官憲が入ってしまい一度だけの上映だったようだね」
「そうです」
「よく脚本があったものだね」
「図書館にあったらしいですよ。それを先生が見つけてきたそうです」
  有馬は頷いた。
「中身はどんな感じかね」
「悲劇が多いですね。演じている時はとても悲しくなるときがあります」
  8時をしめす鐘の音が時計から響いた。
「すっかり遅くなってしまったな。芝居の方は是非行かして貰うとしよう」
「はい。次に来るときはチケットを持ってこれると思います」
  紅葉は頭を軽く下げた。
  外に出ようとした瞬間、小原紅葉は身体が揺らぐのを感じだ。
  眩暈だった。
  倒れないように机に手をついた途端、大理石の卵が転がった。その卵が壊れるような気がして紅葉はあわてて手を伸ばした。
「だいじょうぶかね紅葉君?」
「どうしたのかな」
  紅葉は大きく息を吐いた。
「疲れているようだが」
「だいじょうぶですよ」
  紅葉は快活に笑ったが、眩暈はまだ続いていた。
「最近物騒だからね。君も気をつけることだ」
「先生もそういうんですね。だいじょうぶですよ」
  ワイドショーの内容を思い出しながら紅葉は言った。
「ああいうものは大抵の遊戯と同じくエスカレートしていくものだからね」
「はい。じゃあ、失礼します」
「うむ」
  有馬は軽く手を振って紅葉を送り出した。



 微かな月の輝きが世界を包んでいる。
  出てきた紅葉に三毛ネコが二度掠れた声で鳴く。
「どうしたの。遊んでほしいの」
  紅葉はネコを抱き上げた。
「何カイル気ヲツケテ」
「え」
  ネコは紅葉の手の中から逃げ出すともう姿は見えなくなった。
「やっぱりわたし疲れてる」
  猫はしゃべらない。目の前で消えられていたらチャシャ猫なのに。
  そう思いながら紅葉は小さく笑った。そのまま診療所の敷地から外に出た。
  紅葉は左右を確かめ不審な人影がないのを確かめて歩き出した。
  家まで慣れた道なのに紅葉は気を張ったまま歩いていた。そうしていると後ろから誰かがついてくるのが分かる。
−試してみよう−
  紅葉は靴紐を結ぶ振りをして中腰になった。ついてくる足音も止まっている。
  紅葉の頭に明の言葉が蘇った。

 「もっと強くならないと」
 
  紅葉は立ち上がるときっと前を向き走り出した。
  すぐ見えてきた曲がり角を曲がり、紅葉は立ち止まると、カバンを両手で持った。
  耳をすまし追いかけてくる相手を待つ。足音が近づいてくる。
  誰かが角を曲がってくると、紅葉はカバンで殴りつけた。不意を疲れたせいで角を曲がってきた男は倒れた。
「なんなの」
  紅葉は転がった相手を何度も殴りつけた。
「落ち着いて。朝あっただろ」
  紅葉は手を止めた。そこに転がっているのは朝あった青年だった。
「朝のテレビ局の人?」
  それでも気を許さずに紅葉は男と距離をおいていつでも逃げれるように身構えている。
「そんなに警戒しないで小原紅葉君」
「あなた誰?」
「宇賀史明。帝テレのディレクターだ」
「それでストーカーなの呆れた」
  宇賀は大げさに手を振った。
「子供に興味はないよ」
−それはそれでむかつくかも−
  紅葉は複雑な気持ちで宇賀を見た。
「それで何の用なんです。人の名前まで調べて」
「調べるも何も君は有名なんだな。在校中、3年連続で主役を勤められなんて珍しいそうじゃないか」
「劇はみんなで作るものです。主役だけが嬉しいなんて勘違いよ」
「悪かった。実は君に聞きたいことがあってね。朝、君を助けた娘について聞きたいんだ」
  宇賀は人懐っこい笑顔を見せた。
  



  小原紅葉と宇賀史明のいる池之端公園はどこの住宅地にでもあるような公園だった。
  ブランコと滑り台、砂場くらいしかなくあまり広くはない。
  昼間は子供達の声が、夕方には学校帰りの中学生が集う小さなオアシスも灯りのつくこの時間誰もいない。
  街灯の小さな明かりの中で塗装の剥げたベンチに宇賀史明が座るのを小原紅葉はじっと見た。
  手はいつでも殴れるようにカバンをぎゅっと握っているし目も不信に裏打ちされている。
  宇賀はそんな紅葉の姿に苦笑を浮かべた。
「まずは質問せずに俺の話を聞いて欲しい」
  紅葉は頷いた。
「今から三年ほど前になる。この街みたいなあるベットタウンで火災があった。その家には姉妹がおり、妹の方は暫く前に行方不明になっていた。家の中では両親が死んでおり、大量に出血があった。そして姉の遺体が出なかった」
  紅葉は頷いた。
「その姉妹の一人が五月さんって言うんですか?」
「姉の方だと思う。火事の後、妹の方は身体こそ出てこなかったが、大量の血液と服。キティの時計とか、遺留品が発見されている。大丈夫かい?」
  宇賀がそう言うのも分かるように紅葉の顔は悪くなっていた。
「いえ続けて」
  そう答える紅葉の中には被害現場がフラッシュするように見えていた。
  廃工場、墓石のように並ぶさびた無数の工作機械。
  それが実際のものから分からないが、鼻が酸っぱくなるような血の臭いまで感じられた。
「結局、姉妹は二人とも現在にいたるまで発見されていない」
「それだけじゃ五月さんがそのお姉さんだっていう説得力がありません」
  紅葉は必死に言った。それは五月明を信じているからではなく自分の中で生じていくイメージを抑えるためだ。
「証拠はある」
  宇賀の顔から今まで見えていた軽薄さが消える。
「俺は彼女に会った事がある。よく覚えてる」
「どうして同じ人物だって言い切れるんですか。だって三年も前なんでしょ。それに指紋とか物的証拠は?」
「何も無いよ。きっと背も伸びたろうし、髪型も、整形してれば顔も違うだろう」
「じゃあ、でたらめじゃないですか」
「あの眼が忘れられない。妹を探して走り回っていた彼女の眼を」
  宇賀は紅葉ではなく何か違うものを見ていた。紅葉の中に知らない少女の姿が飛び込んでくる。少女は誰かの名を呼んでいた。その少女の顔は。
「それからすぐだったよ彼女の家が火事になったのは」
  紅葉は宇賀の顔を見た。
「瞳の輝きまでは整形でも変えられない」
  少女のイメージと五月明のイメージが重なっていく。
「気分大丈夫?」
  紅葉は頷きながら言った。
「埋立地だったんですか妹さんを差はしていたの?」
  宇賀の顔色を見てそれが真実なのが紅葉には分かった。
「君はやっぱり何か」
「ごめんなさい」
  紅葉は駆け出した。

小原紅葉は帰路についていた。
  町はいつも以上にひっそりとしているようだった。
  昨日の夜、宇賀史明と話した時に感じたようなイメージの奔流はなくなり、変わりに重い疲労が身体に残っていた。そのまま一日を過ごしてから上がった舞台。
  舞台に立ち、違う誰かを演じていると、何から力を貰ったように紅葉は元気だった。
  練習が終わったあともその元気は続いている。
−昨日はおかしかったよね−
  有馬研究所での治療と、思いがけない話のせいで気が高ぶっていただけだ。
  紅葉は身体を伸ばした。大きく伸ばした手は空にも届きそうに思える。
「紅葉」
  振り返ると小松成美が手に白いウサギを抱いて立っている。
「あれどうしたの?」
  部活で別れたが方向が違うのでこちらにくることはないはずだった。
  成美は何も言わずに近づいた。
「そのウサギ、どうしたの?」
「不思議の国から迷い込んできたみたい」
  何と返していいか困っている紅葉に成美は小さく笑った。何か嫌な笑い方だった。
「事件の時に逃げ出したみたいで、拾ったの」
「そう。子供たちも喜ぶね」
  紅葉に向かってウサギは猫が甘えるように飛びついてきた。顔をすりつけてくるうさぎに紅葉は笑った。
「だめだよ」
「お約束ね。やっぱりウサギもかわいい娘が好きみたい」
  その言葉の響きのきつさに紅葉は驚いて成美を見た。
  始めてみる成美の表情だった。いや、表情ではない。憎悪という思いが顔を仮面のように固めている。
  そう思った紅葉の顔が張り飛ばされた。驚いたウサギが紅葉の手から逃げ茂みの中に消えていく。
「あんたの事は最初から気に入らなかったのよ。『わたしはお姫様』みたいな顔して、三年間あんたはあっさり主役でわたしはプロンプタ(黒子)。笑ってたんでしょ」
「そんなことない」
  紅葉は成美を見ながら言った。
「そんなことないよ。劇はみんなで作るものだもの」
「奇麗事ばっかり言って」
  成美が再び手を振り上げた。紅葉は傷みに耐えようと目を閉じた。痛みは来なかった。
「何するのはなせよ」
  目を開けると五月明が成美の手を抑えていた。
「明」
「離せ」
  成美は明から逃れようと暴れた。
「いいよ」
  明が手を離すと成美は、憎憎しげに明を紅葉を見た。そしてウサギを茂みから引っ張り出し走り出していった。
「ありがとう明」
  紅葉はおどろいていた。明の顔にも仮面のように硬い表情が張り付いている。
「もっと強くならないといけないよ」
  紅葉は頷いた。
  強くならないといけない。だったらできることはなんだろう。
「だからいくね」
  成美の追おうと明に背を向けた。
「どこにいく気?」
「成美のところ」
  明は驚いたように目を大きく見開いた。そして大きくため息をはいた。
「私が見てくるからあなたは家に帰りなさい」
「だって」
「帰りなさい。さっきの彼女の様子から、紅葉がいっても同じことになるわ。まだ、私の方が落ち着いて話せるかもしれない彼女も」
  明の強い視線に紅葉は頷いた。
「頼むね。いつもあんな子じゃないの」
「任せておいて」
  明は成美と同じ方向に走り出した。




  紅葉は足音を立てないようにダイニングキッチンで料理をしていた。
  どうも食欲がないせいで飲み込んでいけそうなものがいいと、おじやを作っていた。
  母親の葉子はどうも疲れて眠ってしまっているようで、一人分だけ作ればいい。冷凍してあったゴハンをレンジで暖めて、その間にカツオぶしでだしをとっていた。
  成美の事が思い出された。成美があんな風に自分を思っていたと思うと気がめいってくる。
「どうして気付いてあげなかったんだろう」
  今まで積み重ねてきた思い出の一つ一つ。
  その中で成美はいつも近くに居た。そんな彼女の笑顔の後ろで、あんな苦痛があったのだと思うと。
  紅葉はゴハンをだし汁の中に混ぜた。沸騰したところを見計らってタマゴを割るだけだ。
「わたしたちの世界もこんな風なのかな」
  有馬研究所でした訓練を思い出す。そう考えれば自分の悩みもきっと小さなものかもしれない。でも、タマゴを持っている紅葉は中にいる紅葉を知っているのだろうか?
  電話が鳴った。
  紅葉は電話に出た。
「おはようございます。え、成美が。昨日は別々に帰ったんですけど、まだ帰って
ないんですか?」
  成美とそれを追っていった五月明の姿が紅葉の頭に浮かんできた。
  紅葉が物思いから抜け出すことができたのは、おじやがこげた臭いのためだった。


7月18日
  教室に入った紅葉はTスクエアの音楽のかかる中、明の姿を探した。しかし、明は学校に来ていない様子で、机にはカバンはおろか、荷物がまるで無かった。
『確かめなきゃいけないのに』
  予鈴が鳴り、教室に入ってきた村上春子の表情の暗さにいつもは騒がしい教室が静けさに包まれる。
「昨日から小松成美さんは家に戻っていません」
  教師の悲痛な表情が移ったように騒がしさが増した。
「静かに。心辺りがある人は私の方も言うようにしてください」
  言葉を聞きながら紅葉は成美と一緒に消えていった明の事が思い出された。
  そのまま授業が始まり一日が過ぎた。明も成美も姿を見せることはなかった。ホームルームの中で部活の停止が告げられた。
  帰ろうとした紅葉は声をかけられら。
「小原さんちょっと」
「なんですか?」
「警察の方が小松さんのことを聞きたいそうなの。先生も、校長先生も同席するから、お話をしてもらっていいかしら」
「分かりました」 
  校長室に呼ばれ、校長と村上春子担任の同席で警察から事情聴取を受けていた。
  どこかお笑い芸人に似た顔の刑事の話は割合シンプルだった。何か心当たりはないか? というだけで、詳しく聞いてくることはなかった。

 いつもならこの時間に帰れば何人かは会う生徒たちともまったく会わない。それもそのはずだった。結局、学校側は全ての部活を停止にし、早期の下校を指導したのだ。
  峰台中学校だけでなく回りの小学校や、高校も同じ事だった。
『なにかおかしいよ』
  小松成美が失踪しただけでなく何かがこの辺りで起きている。
  道に映る紅葉の長い影に別の影が重なった。
  影の先にはリネンのワンピースを着た五月明の姿があった。
「紅葉」
「明」
  そういう紅葉の声にはおびえが混じっていた。
『逃げちゃだめだ』
  紅葉が怯えているのは明なのに、逃げずに向かい合おうとする強さのもとが、明の言った言葉なのが皮肉だった。
「ねえ、時間ある」  
                    


 いつもなら池之端公園で遊んでいる子供たちの姿はない。
  紅葉と明はベンチに座った。
「何か用なの」
  そういう明の目は優しい光が見えている。
「ねえ、明。成美を、小松さんが行方不明になって?。あなた知ってるんじゃないの」
「どうして。昨日紅葉の事でもめた後の事を言ってるの?」
  メガネの向こうの明の瞳は迷い無くまっすぐ見ていて紅葉の方が気弱になりそうになる。
「どうして私が知ってると思ったの」
「妹さんも行方不明になってるんでしょ?」
  明の瞳が揺らいだ。でも、紅葉が気のせいかと思うくらいの長さですぐ静かなまなざしが戻る。
「誰にそんなでたらめを聞いたの。私に妹はいないよ」
「俺だよ。真由美さん」
  現れたのは宇賀史明だった。



 今までは人のよさそうなな印象を受けた宇賀史明の顔は紅葉が見た事も無い表情を湛えていた。それはきついものながら、懐かしさを抱いている顔だ。宇賀の中でもその感情は整理されていないのだ。
「宇賀さん」
  紅葉の声に答えもせずに宇賀は五月明を見つめた。
  明は宇賀の視線を揺るぐ事無く見返している。
「紅葉にからんでいたレポーターですね」
  明は言った。
「俺の事覚えてないかな?。妹さんの家庭教師で」
「何を言われているのかよく分かりませんけど」
  宇賀から目を離し明は紅葉を見た。
「君は保坂真由美なんだろ?」
  紅葉には明の顔は落ち着いていて冷静に思える。でも、その冷静さの中に芝居の匂いが紅葉には感じられた。
  うまく演じようとしてしまって逆に演じているのが見えてしまう。今の明はそんな風だ。
  それでも十分だった。宇賀がそれ以上言葉を紡ぎのを止めるような強さがあった。
「行きましょう」
  明は紅葉の腕を掴むとそのまま歩き出した。 
  歩いているうちに日はもう完全に暮れ、夜になっていた。
  そのまま明は一言も口にする事は無かった。
  怖いがそれよりも知りたかった。自分の見たビジョンが真実なのどうかを。
  紅葉は深呼吸すると足を止めた。
「私工場を見たの。明がいる工場を」
  少しだけ先を行っていた紅葉は立ち止まった。
「見えたんだ。そっか」
  そして振り返った明の顔。夕焼けの中に見えるのは見た事の無い少女の顔だった。それは一瞬でいつもの明の顔だった。
「私ね妹がいたの。双子の妹。でもね妹はもういないの。私か妹、そのどちらかでも強ければ、私達はまだ一緒にいられたと思う。でも、私は強くなかった。強がってはいたけれど」
  明の目が潤み、ゆっくりと涙が流れた。
「だからあなたは強くなって」
  明は涙を拭くとそのまま背中を向け早足で歩き始めた。
「それじゃ、また」
  明は歩き始めた。
−ごめんなさい−
  紅葉は心の中で呟きながら明を見送った。
「だからあなたは強くなって」
  明は涙を拭くとそのまま背中を向け早足で歩き始めた。歩いているうちに涙が流れてきた。自分がいってしまった酷いことがどれだけ明を傷つけたのか。宇賀という人の言葉にのせられて自分は何をしたのだろう?
  友達を傷つけただけだ。
  気付けば家の前だった。
  猫の鳴き声がした。声の方には猫が立っている。
「気ヲツケ・・・」
  鳴き声に混じるようにそんな言葉が聞こえた。
  紅葉は息を潜めながら自宅のドアノブに触れた。大きな火花が飛ぶ。静電気にしては痛みの残る感触が手に残る。
「ただいま」
  玄関に入る。いつもなら答える母親の声がない。どうしてそんな風に思えたのだ。
  紅葉の中で違和感が大きくなる。ボタンを掛け違えているようなそんな感覚。
  それを押し殺すように紅葉はできるだけいつもの声で言った。
「お母さん?」
  紅葉は転がりそうになりながらリビングに行く。母親の葉子の姿はない。
  ドアが開く音がした。
「お母さん」
  紅葉は安心しながら玄関に向かって駆けていった。
  玄関では葉子が近所のスーパーの買い物袋を持って帰ってきたところだった。
「ただいま」
  こっちからいうのはおかしいと思いながら紅葉はそういっていた。母親は困ったように笑った。
「おかえりなさ・・・」
  紅葉は声を止めていた母親の後ろに見える何かの赤いもの。
  それはあの夜見た犬の目の輝き。
「おかあさん」
  自分の声が震えているのが紅葉には分かった。
  葉子は叫んだ。
「逃げて紅葉」
  葉子の身体が前に倒れる。紅葉は母親を抱きとめた。紅葉の手が血に染まった。
「ごめんなさい紅葉。あなたを辛い目を合わせたくなかったのに」
  葉子の背中から滲んだ赤が広がっていく。
「おかあさん。わたしを一人にしないで」
  悲鳴を含んだ紅葉の声を聞きながら、笑っているものの姿があった。
  そう、それはウサギだった。
  小松成美が拾ったウサギ。しかしその目は赤く、凶暴な気配に満ちている。
「手間カケサセタナ」
  ウサギは話していた。本来、発声する器官でもないにその声ははっきり聞こえた。そうそれは紅葉の頭の中に響いてくる。
「アノクソ女サエイナケレバモウオワッテイタノニ」
  そのノイズのようなものが紅葉を激しく苛立たせる。
  紅葉は葉子を背負った。不思議なくらい葉子は軽かった。
「どいて」
  ウサギは笑った。
「オマエハヨリ大キナモノト一ツニナル。子葉ナドモウヒツヨウナイ」
「紅葉生きて」
「おかあさん」
  重さが増した。
「おかあさん」
  紅葉は背負っていた母親を見た。そこにはぬくもりを失い、ただのものになっていく母親の姿があった。
「おかあさん」
  紅葉の目から涙が滲む。
「もう嫌だ」
  涙がこぼれた時、光が紅葉の身体を包んだ。





  紅葉は池之端公園にいた。
  水道に口をつけて一気に水を飲む。
  震えは止まらなかった。
  紅葉は自分の手を見た。赤く染まっているのは母親の血の赤さだった。
  その血を見ながら紅葉の中で何かが動いた。それは紅葉自身が忘れていた何か。
−なんだろう・・光、女の人・・・何だろうこれ−
  ずっと前、芝居を見た。そうだ。PANDORの芝居。
「紅葉」
  聞きなれた声に紅葉は振り返った。
  公園の入り口には小松成美が立っていた。街灯の光の中に立つ成美はいつものように元気よく手を上げた。
「成美」
  制服姿の成美は日常の姿だった。いつもと変わらない平穏が涙が出るくらい嬉しい。
  紅葉は成美に向かい走っていった。
  成美の笑顔が見たことも無いくらい引き締まった。その顔が凍えるように強張った。紅葉は振り返った。
  その成美の視線の先にいるのは一人の少女の姿だった。変事の先駆けとなった黒犬から紅葉を救った少女。
「だめ」
  紅葉の声など聞こえぬように少女は刀を抜き放った。
  一閃。
  切られた成美の身体が崩れ落ちる。
  力を失い倒れる成美の身体を紅葉が支えた。
  街灯の光の中に少女が歩みよる。
「どうして明?」
  その少女は五月明に他ならなかった。
  紅葉の問いに答えず明は成美の身体を引き離そうとする。紅葉はそれを阻もうとする。
「離れなさい」
「嫌」
  紅葉は明の前に立ちふさがった。
「成美は私の友達。だからだめ」
「あなたも取り込まれたいの?」
  明の言葉に答えず紅葉は成美を守るように抱きしめた。
「痛いよ」
  その声に紅葉は成美の事がよく見えるように体を離した。
  元気な声に、安堵する紅葉の心が怯えに変わる。
  閉ざされていた成美の目が開いた。そこにあるのは赤。
  襲ってきた黒犬や、母葉子の命を奪ったウサギと同じ光。
「どうして」
  離れようとする紅葉の手を成美は力強く押さえた。
「逃げちゃ駄目だよ紅葉。だってあなたは一部なんだから」
「成美?」
  成美が姿だけを残してまったく違うものになってしまっているのが紅葉には分かった。
  それでも友人のその姿に紅葉は何もできずに赤い唇が自分に近づくのを見つめていた。

 近づいてくる赤い唇が不意に止まった。成美の身体が倒れてくる。成美の胸から刃の切っ先がかすかに覗いている。明の持った刀の刃が裏から貫いていた。
  成美は倒れた。
「どうして殺したの」
  成美の身体が冷たくなるのを感じがら紅葉は明を責めずにはおられなかった。明の目が悲しみのためか潤んでいるのを知りながらも。
「それしか手段が無いから」
  明は呟いた。
「殺すなんてだめだよ。そうやって妹さんも殺したの?」
  明は詰られて目を細めた。
「どう思ってくれてもいい。だから逃げて。ここはまずいの」
「モウ遅イ。カロン・カコンがくる」
  成美の口から血の泡と共に言葉が吐き出される。息は冬の最中であるように真っ白だ。
  空気が震えた。
  まるで森の中にいるような清浄な空気が不意に公園に吹き込んでくる。
  ボックスの公衆電話が音を立てて歪み炎と煙を上げる。しかし炎はまるでなかったように消える。
  霧が出始めた。
「寒い」
  気温が下がったのか寒気が紅葉の身体を包む。
  頭の中で声が聞こえた。それは美しい声。
  明はボックスに向かい表情を一切なくした顔で向かい合っていた。
  いつの間にか現れたのは一人の少女だった。
  ただ白い布を身にまとったような天使とも女神とも思える姿。その顔は半ばまで隠されている。
  しかし紅葉はその顔を知っていた。それはずっと前舞台で見たPANDORAの顔。そして、夕焼けの中、明の中に見えた少女の顔。
「妹さん?」
  明は大きく首を横に振った。
「妹だったものよ」
  少女は紅葉と明を見つめた。
  穏やかな神秘的とまで言っていい表情。
  少女は宙を舞った。気づくと少女の顔は紅葉の眼前にあった。
  赤く冷たい目の輝き。
「還りなさい」
  ゆっくりと紅葉に向かい少女の手が差し出される。
  紅葉の身体が大きく弾かれる。
  明が割って入っていた。
  少女の手が明の手に切り落とされていた。血が流れ落ちる。その血の流れが止まり細かな光の粒に変わる。血だけで無かった。落ちた腕も細かな光の粒となると少女の手に戻った。
  明は刀を構えながら飛び込む。
  少女は手を軽く振った。その先に見えない何かが生じたように明は動きを止める。
  地面が大きくめくれる。工事現場のように穿たれた穴は少女の持つ見えない力の強さを秘めている。
「逃げなさい」
  動かない紅葉に向かい明は叫んだ。
「あなたがいたら集中して戦えないの」
  紅葉は振り返る事無く走り始めた。

どれだけ走ったろうか。もう公園は視界に入ってはいない。
  後ろから聞こえてくる音だけがそこで何かが起きているのを伝えてくる。音は不意に止まった。
  明はどうなったんだろう。成美ももしかしたら生きているかもしれない。そんな考えが脳裏をよぎった。自分はいかなくてはならない。
  紅葉は立ち止まると、公園に向かい走りだした。
  公園の上に見えたのは明だった。
  明の体が高く浮かんでいる。それは子供がいらついてボールを投げるような勢いで地面にたたき付けられる。明の体は二度三度と地面を跳ねた。体が砂にまみれ服は赤いものが点々と見えている。
  それでも明は立ち上がろうとしていた。その体からは生気は感じられない。もう立っているのがやっとのように思える。でも、その目だけはまっすぐに一点に向けられていた。
  刀を持って低く構えて明は走り出した。明の視線の先にいるのは少女だ。少女は手を振った。紅葉には見えないが何かを切り裂くように明の刀は宙を払う。だが、近づくに連れてなぎ払う事もしなくなる。明は傷つくのもかまわず少女に向かっていく。少女は手を振るうのをやめて明に飛び込んでくる。
  少女の手を交わし、明の刀が伸びた。だが、刀は少女の手に払われた瞬間砕ける。
「だめ」
  紅葉は飛び込んだ。
  明の驚いた顔が近い。何かいおうと思った。
「ごめんなさい」
「ありがとう」
  そんな言葉は口から漏れる事はなかった。
  紅葉は背後から光を感じた。それは紅葉の意識を書き換えていく。今までの紅葉の記憶がきれいな光になっていく。きっと自分がみんな日価値になったときに死ぬのだろう。
  明は背後を見た。光の中で胸に光を抱いている女の姿が見えた。彼女は目を閉じている。
  その姿は不思議と懐かしい。そう彼女の姿も昔舞台で見ていた。
『PAN』
  名前を呼ぼうとした時、口が塞がれた。横を見れば明が立っていた。その後ろには明がもう一人立っている。それは先程の少女と同じ姿だが、何かが違っていた。
  明につかまれた瞬間、自分が光になるのは止まっていた。
「紅葉、その名をいうのはダメ」
「名前を呼ぶときちゃうんだよ。あなたもあたしと同じで舞台しているから分かるよね」
「亜由美、黙っていて」
  少女は頬を膨らませながらもだまった。
「目を覚ませば、少しだけ変わってしまったけど、あなたの世界が待っている。自分がしらないものや記憶にさらされるかもしれないけど、それは夢のようなものの。あなたはあなただから。強くなって。自分自身の為に」
「明?」
「その名前も忘れてしまいなさい」
  明の体が消えていく。そして亜由美と呼ばれた少女の体もまた。それは先程のように目を閉じた女の中に消えることはなく紅葉の中に入ってくる。
  それは様々な物語。
「さよなら」
  明と少女の体が消え去った。
  紅葉は公園に立っていた。そこには誰の姿もない。紅葉は黙って明の持っていた刀を拾い上げた。刃はまっずぐに光を返していた。

 草一本生えていない寒々とした空き地に立って宇賀史明は小さくため息をついた。
  そこはかつては小原家のあったところであった。小原家が火事に襲われてから一月あまりが過ぎている。
  保坂真由美、亜由美、そして小原紅葉。何もする事ができずにまた今を迎えてしまった。
「宇賀君」
  穏やかな声がかかった。
  宇賀は見ながら驚きの声を上げた。
  有馬暁生。大学生活最後の夏にあった忘れられない人物の一人だ。
  その記憶は常に一人の少女に結びついている。だから今日まで連絡をとることはしなかった。
「有馬さん」
「久しぶりだね宇賀君。時折テレビで君の姿を見かけるよ」
「ありがとうございます」
「君はどうしたのかね?。こんなところで」
「ちょっと取材でして」
  言ってから軽装すぎる自分に宇賀は苦笑した。半休をとって自分自身に整理するために来たのにそれを見せないようにする自分が滑稽だった。
「時間あるかね?」
  宇賀は時計を見た。時刻は10時。
「16時までに戻ればいいですから大丈夫です」
「それは良かった」
  有馬は穏やかに笑みを浮かべた。
「では付き合ってくれ。実は芝居の券を貰ったのだが・・はは、一人住まいの寂しさで一緒に行くものもいなくってね」
「はい」
  二人は連れ立つと道を歩き始めた。


8月18日
 宇賀は宮本三百人劇場の観客席にいた。
  規模は300人ほどだが公立の高校の敷地内の施設の中では珍しく、しっかりした照明施設と音響施設が整っているから千葉ではよく舞台が行われるところだ。
  あの時を境に消えた二人の少女の事が思い出される。
  小原紅葉、そして五月明・・保坂真由美の事も。
  照明が暗くなり、アナウンスが入る。
「ただいまより「PANDORA」を開演いたします」
  そして幕が上がった。
  闇に包まれた舞台。背景の山を思わせる景色が見える中で、少女が一人上手から現れる。
「つらいことや苦しい事っていっぱいあると思う。でも生きているのってそんなに悪いことじゃない。わたしはそう思うの」
  スポットライトの白い光が少女の姿を照らし出す。その姿は。

 幕が降り、劇場の中にも光が戻る。しかし誰もが今見た何かに捕らわれたように立ち上がることは無かった。
  カーテンコールが始まったが、その中に少女の姿はない。
  宇賀は涙を拭きながら立ち上がると外に向かい飛び出していった。
  黒く塗られた鉄柵の向こうに宇賀は目的の少女を見つけた。
  劇場の前の道路に少女が歩いていた。距離は遠くない。だが高い柵が二人の間を挟んでいる。
「小原くん」
  少女は宇賀の方を見た。
  そこに立つのは小原紅葉の姿だった。だが、その印象は変わっていた。目の輝きはまっすぐ澄んでいて前よりもずっと落ち着きをもって思えた。
「宇賀さん、明が、真由美が『ありがとう』って」
「真由美くんは?」
「ここにいます」
  紅葉は自分の胸に手を当てた。それが心の中にいるという意味なのか他の意味なのか宇賀には分からなかった。
「私にも明にも、もう近づかない方がいい」 
「待ってくれ。また君は舞台に立つのか?」
  紅葉は道路を渡り歩き始めた。
「君の舞台をもう一度見たい」
  車が通り過ぎる。
  まるでそこにシーンの切れ目でもあるように紅葉の姿は消えていた。
  走りかけて宇賀は立ち止まった。何かわかった気がした。この喪失感は二度目だった。
「行ってしまったようだね」
  振り返ると有馬が立っていた。
「はい。やはりあなたは知っていたんですね」
「彼女とは随分長い付き合いになる。それこそ孵った時から」
  有馬は大きく息を吐いた。安堵のような、恐れのような混じった息。
「彼女は今日新しい舞台に立ったのだ。現実というね」
posted by 相会一 at 18:36| Comment(0) | BeforeBabel PANDORA | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2000年02月08日

証明 prove 天見四郎1












 メクドは夕方ということもあって、学校帰りの学生で溢れていた。和洋中と揃った料理と、アミューズメントパークが混じったメクドは、桜市内では学生の多く集まるスポットの一つだ。その熱気ゆえの騒がしさのせいで、年輩者はほとんど近づかない。
 剣柄学園中等部の天見四郎は、四人掛けの空席を見つけ座ると注文してきた皮付きのフライドポテトと湯気を立てるホットミルクをテーブルに置いた。
 メクドの店内は、同じような年ながら騒がし過ぎて嫌な時もあるが、ここのフライドポテトはかなりおいしい。まして今回はポイントで手に入れたから、ほとんど無料のようなものだった。
 ポテトを食べようとのばした手を捕まれた。
「ここ俺らの席なんだけど」
 因縁をつけてきたのは見慣れない制服だった。ブレザーの胸元を見ても知らない校章だ。中の一人は手首にバンダナを巻いているが、その色は紫。赤でも青でもない。
 四郎は小さくため息をついた。
「気づかなかった」
 ポテトとミルクを持って立ち上がろうとするが、右手を捕まれたままだ。
「離してくれないか」
「わびもなしか」
「もうしわけありませんでした」
 素直に頭を下げる。
「ちょっとあなた嫌がっているでしょ」
 鋭い叱責の声。
 剣柄、四郎と同じ学校の制服だ。ただ、普通の生徒なら白いスカーフのところを、英字で六と書かれた赤いスカーフを襟元からのぞかせている。背は女子にしては高く四郎よりも高い。
「俺たちはただ謝罪を要求しているだけだ。こいつだって頭下げてる。当然悪いと思ってるんだろ」
「はい」
 四郎がいうと図に乗ってその頭を押さえつけた。
「こいつがいいっていってんだから、いいよな」
 四郎は引っ張られた。
「ここでは勝手はさせない。あなたたちでしょ。最近、うちの生徒に因縁をつけて金を取っているのは」
 女子は身構えると同時に床を蹴った。
「ポテトだけでもどうにか」
 そう四郎が言った瞬間、ポテトとミルクが女子に向かって投げつけられた。女子は交わし、ポテトとミルクは盛大に宙を舞った。
「あ」
 四郎はポテトだった物体を呆然と見つめた。
「一週間の楽しみが」
 既に四郎は置き去りにされていた。
 剣柄の女子、見慣れない制服の男子。共に店から出ている。
 四郎はカウンターの向こうのマスターに頭を下げ、外に出た。
 おおよそこの辺りで荒事をするなら場所は分かっている。
 とりあえず我慢する理由もなくなり、怒る動機もある。なら、あとはそれをぶつけるだけだ。

 メクドの裏の駐車場で、他校の男子と剣柄の女子は見合っている。
 三対一という状況ながら女子はなんら緊張していないように見えた。
 女子が何か修得しているのが四郎にも分かった。門派までは分からないが、その構えから恐らくは大陸の拳法だろう。
 女子の持つ間合いに踏み込まないようにゆっくりと四郎は入り込んだ。そののろのろした様はおびえているように見える。
 へっぴり腰の様に笑った男子の一人の腹を拳で殴りつける。男子はそのまま倒れた。
「先着はこっちだろ」
 そこまでいって獲物だと思っていた四郎が敵であるのが分かったらしい。
 女子を放置し、男子二人が襲いかかってくる。
「てめえ」
 殴りかかってくる腕がはっきりと見える。四郎は拳を交わした。そのままカウンター気味に腹に拳を入れる。男子は崩れた。
 残る一人を見ると既に女子に取り押さえられていた。禁拿術とかいう大陸由来の捕縛術なのを四郎は思い出した。
「あなたも甕奉祭の参加者」
「まあ、一応」
 四郎は懐から赤いスカーフを取り出した。ただ、女子とは違い数字はない。それでもイベントの参加者の証だった。

 甕奉祭。
 地元の大神宮に祭られた瀬織津姫神に捧げられた祭りの名だ。しかし、それは表だっての事。もう一つの祭りであった。
 甕奉祭が裏の意味を持ったのは、江戸時代だという。幕府の所領であり、様々な旗本や御家人が分割して納める地だった桜市は、治安が悪く、博徒の争いが絶えなかった。市井に被害が及ぶのを考慮した大神宮の宮司が、代表者を持って戦い、その結果に従うのを定めた。
 明治から昭和にかけては、陸軍の駐屯地を持ち、また港の整備が行われ海軍も駐留する桜市は軍都と呼ばれた。軍とは国の剣であり、盾である。当時、海外への機運は高まっており、軍需工場が造られ、未曾有の好景気に沸いていた。多くの利権があったが、軍都ということから治安に関しては厳しかった。
 戦後は戦災は少なく、重しとなっていた軍人は消えた。その為、首都に近いながら被害の少なかった事から、物資が集積され、闇市が隆盛を極めた。再び江戸時代の状況がよみがえったのだ。地域や組織同士で激化していった抗争を沈静化させるために、甕奉祭が百年程の狭間を得て、よみがえった。
 昭和七十年代になってからも、それは続いていた。違うのは参加するのが未成年になったこと。腕に覚えのあるものが登録すること。あるいは勝手に選ばれる。そして、赤青の二部に振り分けられ、上位の人間には特典が用意されている。
 参加者は、試合に参加し、勝つことで十万〜百万単位のポイントを得る。ギャラリーとしてレポートを書くことでもポイントが提供される。そして市内限定ながら、市内限定のカードサービスである『カドカ』を使うことで、ポイント1点がそのまま1円として現金として使用する事ができた。
 四郎が数十戦あまりをレポートし、今日の食事にと変えたのだ。
「あなた参加者ってこいつらにいったの?」
「言ってない。それに、こいつらは違うみたいだ」
「参加する事に意義があるわけじゃないのにね」
 女子は苦々しい顔でいった。
「どうして出てるの」
「挑まれた以上はね。六番目というのも不服だしね」
「六番で。そりゃすごい?」
 赤・青、この目の前の女子より強いと思われるのはたかが十人ということだ。
「上はシード扱いで名前すらあかされていない。そういう依怙贔屓嫌いなの。そうしている連中の鼻をあかしてやりたいわけ」
「ああ正義感強いんだ」
「なんかバカにしてない?」
「いや」
 四郎は倒した男子の懐を探った。
「それじゃ強盗じゃない」
「慰謝料さ。ポテトとミルクのね」
「悪いけど見過ごさないわよ」
 女子は男子から手を離した。
 女子は四郎を悪と認識したらしい。
 四郎は立ち上がった。
「同じ色での争いは辞めていただけませんか」
 立っているのは一人の少女。亜麻色の髪。目つきは鋭く、さながら刃を突きつけられたようだ。剣柄の制服に身を固め、背負うのは竹刀袋だ。スカーフは赤・青・白のトリコロール。
 女子の目が少女に向けられているのを見ながら、四郎は全力で走り出した。
 後ろの方から女子の怒鳴り声が聞こえた。
 正直なところ、あの少女が怖かったのだ。
 たどりついたところで、またため息が出た。
「どうしてここかな」
 子供の頃に手も足も出ずに、腕を折られた公園だ。
 それでも疲れていたので公園のベンチに座って奪ったものを見た。茶の合皮でそれなりに厚みがある。
「空か」
 財布だと思って取ったのはどうも生徒手帳のようだった。中を見れば先程の男子の顔写真が覗いている。さらに調べると、薄いマッチ箱のようなものが姿を見せた。
「なんだこれ」
 見慣れないものだが何だろうか。振って見たが音はしない。こういう時の対応はさっさと捨てることだ。
「返せよ、お前」
 先程の男子を始め、数人の同じ制服姿が並んでいる。数は十。
 十人のうち何か格闘技をかじっているものはいないようだ。
 四郎にせよ特定の格闘技をしているわけではない。いわゆる家伝の一手といわれる、家にだいだい伝わっているものだ。
「その前に食い物代をもらおうか」
「こっちが慰謝料を貰いたいくらいだ」
 四郎はとりあえず手に持った生徒手帳を大きく茂みに放り投げた。
 放物線を描くそれに注目が集まった瞬間、四郎は動いた。
 相手に飛び込みつつ腹に向かい容赦なく掌を入れる。腹は強い打撃を受ければ呼吸困難に陥る。
 崩れ落ちる男子を足蹴にそのまま囲みを抜けた。
 
 腹が鳴った。空腹のまま動き回ったので燃料が切れかかっている。
 先程の不意打ちを意識して遠回りして家にたどり着いた。
「お帰りなさい」
 姉の初音が台所から顔を出した。十あまり上の姉は母のない四郎からすれば母のようなものだ。
 ただいまと答えて四郎は居間に入った。昔ながらの家はダイニングキッチンではなく、居間と台所はきっちり分けられている。
「遅かったのね」
「ちょっと砺波とね」
 友人の名を適当に語りつつ、掘り炬燵に潜り込んだ。
「お腹空いた」
「分かった」
 今日は何かのあんかけだった。野菜たっぷりでボリュームがある。
 テレビをかけると文化の日にされるイベントが告げられていた。
 姉の誕生日がそろそろ近いことを思い出した。いつもお世話になっている姉のために何か用意しなくてはならない。
 そう考え出す脳を目の前の料理が刺激する。
 これで一息つけると思った時、ドアの方で呼び鈴が鳴った。
「いただきます」
 姉は玄関から四郎を呼んだ。
「お友達よ」
 玄関に行くと、いたのは今日三度目の顔合わせとなる男子だ
「こんばんわ」
 声は優しいが視線に殺意を込める。
「話なら外に行こう」
「あがっていただけばいいのに」
「男同士の話なんだ。姉さんに聞かれるのは恥ずかしい」
 外に出た。
 風は先程より寒さを増していた。
「来て貰うぞ」
 そういう男子の胸ぐらを掴んだ。自分より背の高い男子の身体を自分の高さにひきずる。
「今度ここにきてみろ沈めるぞ、東京湾に」
 足音がした。それも複数。
 四郎は逃げる事を考えたが、やめておいた。
 家に押し掛けられるくらいなら全員ぶちのめした方がまだましだ。
 幸い東京湾に沈められる人の肉体にはまだまだ余裕がある。
 振り返ると立っているのは数人の男子。先程のものばかりだが、一人だけ見知らぬ顔だ。相手も四郎の目に気づいたようだ。
「小田壽といいます」
 柔らかそうな髪は大きくウェーブしていわゆるマッシュルームのようだ。育ちの良さそうな品のある顔立ちをしている。背は中背。体は細い。
「初めて剥き出しの殺意を見せましたね」
「これだけの人数に囲まれればね」
「嘘はいけません。数は問題ではないでしょう。あなたのそれは家を知られたからですね」
「どうも本気で手を汚すことになりそうだ」
 動機も理由も十分。あとは行動のみだ。リーダーという壽を押さえればどうにかなるだろう。
「あなたをスカウトしたい」
 壽の言葉に四郎は意識して目を細めた。


 これはまずいだろ と心の中で呟いた。四郎のカドカは制限いっぱいの九十九万円になっていた。残っていた金額を考えて昼食に牛乳を一本買った。残高は減ることはなかった
 四郎のカドカと共にあるのは昨夜のマッチ箱のようなものだ。
 マッチ箱を見ながら昨夜のことを思い出した。
 壽は周りにいた仲間に離れるように告げた。誰もが彼に従い強いリーダーシップを持っているのは明らかだ。
「座りませんか」
 壽は公園のベンチに座った。四郎もその横に座る。
「自分は些かこの街の仕組みをしっておりまして、少なくともポテトをサクラのポイントで手に入れるような事にはなりませんよ」
「まあ話は聞いておくよ」
「この街の中でのみ流通するカドカは現金で購入すると、3パーセントのポイントがついて運用されます。一万なら一万円三百円。微々たるものです」
「そうだ」
「その差額は先払いされている分の現金の運用でもたらされている事になっています。しかし今日日、それだけの利率は難しい。もっとも交換されるだけされて使われていないものもありますけれど。言ってしまえば、カドカはマネーロンダリングに使用されているのですよ。黒い金を小口のカドカに変えてしまえば無記名な上にポイントまでつく。安心なわけです」
「そんなのばれるだろ」
「でもカドカを運営している側が手を組んでいたらどうでしょう。そういったものを実際はかわれていない小口に分散する。同じ系列の会社なら右から左のポケットにお金が動いているだけのことになる。タンス預金に税金がかけれないのと一緒ですね」
「そんな」
「まあ信用できないでしょうから、明日一日あの奪われたカードを使ってみてください。そうされれば少しは納得されるでしょうから。返答はその際にでも」
「これはいけてる」
 呟くと目の前に昨夜あった亜麻色の髪の少女が居た。
「何がですか」
 側には昨日の少女がいた。校内だというのに手には竹刀袋がある。
「何でもない」
 あわててカードを隠す四郎に少女は興味なさげに離れた。
「どうしたんだ?」
「電子上のデーターは一見すると脆弱なものに見えますが、関連している範囲は非常に広い。外界で蝶を掴むのと同じように気をつけることですよ」
 蝶を掴むのに注意したことなどない。
 四郎は目を細めた。
「それにここには正義の味方がいますから」
「見つけた」
 どうも少女の発言は足止めだったようだ。昨日の女子が向かってくる。逃れようとして気づいた。校内でのルールを守りしっかり歩いてくる。
 四郎は迷わず走り出した。
 校庭に出れば迷わず走り出してくるだろうから、そのまま校内をうろついて教室に戻った。
「おい天見どうした」
 同じクラスの砺波だ。小柄な体ながら規定いっぱいの二刀流を使うことから今武蔵と言われる剣道部員だ。
「追われてるんだ」
「ついに参加したのかい」
 話しかけてくるもう一人は美術部の倉木だ。
 二人とも参加してはいないものの、選ばれてはいるので、同じような立場の四郎は気になるらしい。
「絵は脳と外界を結ぶインターフェイスだしね。それを持って戦うとは」
「まあ、悪くないと思うがな。俺だって部活なきゃやってるぜ」
「話を進めるな。そもそもしてない」
「てっきり日元に追われていたからそうかと思ったよ」
「え、誰だ」
「日元だよ。拳法使うやつ。さっき探しに来たぞ」
 あの女子の名は日元というらしい。
「学校の生徒が参加するのを嫌うからな同じ門派の人間が相手にいるらしい」
「同門か」
「家伝の掌法である君には縁のない話だね」
「まあね」
「なあ今日部活休みなんだけどボーリングでもいかないか。今日水曜だからやすいんだ」
「いいぞ」 
 懐に余裕があるのはすばらしい。今までなら悩むことなく断っていただろう。
「三人で遊びにいくなど随分久々だな」
「そうだな」
 
 ボーリングを四ゲームほど終えた頃すっかり空腹になっていた。そのまま三人でメクドを訪れた。
 メクドは今日も混んでいた。壽やその部下と思われるものの顔はない。
 昨日、おあずけになったポテトとミルクにかぶりつくと、随分と幸せな気持ちになった。
「悪くない」
 そして二人と別れ、家路を急いでいた。
 ボーリング場から川沿いの道を歩いていく。ジョギングコースとして整備されているものの夜間に使うものはほとんどいない。
 歩いていると気配を感じ四郎は振り返った。壽が立っていた。
「気づかれないようにしたつもりだったんですが無理でしたね」
「そうでもない」
 それが四郎の壽に対する評価だった。警戒して人気のない道を歩いていなければ壽に気づくことはなかったろう。四郎が人気のない道を選ぶのは選択肢を減らすためだ。
「いかがでしたか?」
「悪くない」
「満足していただけたようですね」
「ああ。何をしたらいいんだ」
「まあ案内人とボディガードのようなものです。この辺りは不慣れなので、お願いしますよ」
「わかった」
「そうそう、それは返していただいて、明日新しいものを差し上げます」
 四郎は差し出した。壽は受け取るとポケットに納めた。
「夜出歩かれても大丈夫ですか?」
「一度家に戻れば大丈夫だ」
「わかりました。では明日からお願いします。待ち合わせはこの先の四阿でよろしいですか」
 寿が指さしたのは、ジョギングの人間用に作られた休憩所だった。
「分かった」
posted by 相会一 at 21:15| Comment(0) | BeforeBabel PANDORA | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2000年05月08日

証明 prove 山海仁吾1












 月のない夜だった。夏も近いとはいえ、梅雨にかかるこの時期海からの風が冷たい。上着を着ていても体からは容赦なく熱は奪われ冷えていく。だが、手の中の銃のグリップは暖まっていた。
 ニューナンブ。警察ではもっとも使われる拳銃であり、山海仁吾にとって一番なじんだ銃器だ。だが、なじんでいる事と信頼している事は別物だった。
 倉庫の中にいるものが、いかなる武器を持っているか分からない現状ではその思いは更に深まった。
 逆らうものがいなければいいが。
 それは山海の本音だった。
 刑事として桜市に来て数年。この街は荒っぽい事件が多すぎる。
 今までいた街なら、スーツの上からでも分かる筋肉と、荒事慣れした雰囲気。強面で怯んだものもこの街では記号程度の価値しかない。
 山海は腕時計を見た。自衛隊時代に年上の女に貰ったGショックは、その女が去った後も律儀に時を示している。
 時刻は深夜一時五十九分。
 二時になった瞬間、倉庫のドアを一気にあけて山海は踏み込んだ。
「警察だ」
 直ぐに反撃してくると思ったが、静まりかえっていた。見えはしないが闇の向こうで人いきれを感じる。
 明かりがついた。
 中にいるのは数人の若者だった。輪になった中心には数枚のカードが転がっている。
「なんですか」
「警察のものだ。二、三聞きたい事がある」
 若者たちは顔を見合わした。中の一人が、山海の前に立った。
 年は二十歳はいっていないだろう。幼さの残る顔立ちだった。その幼さを隠すかのように男の服は黒い革と鉄で飾られていた。
「なんでしょうか」
「こんな時間に何をしているのか」
「カードゲームです」
 若者の一人がカードを拾い差し出してくる。
 そこには女子高生らしいキャラクターが描かれている。制服姿で拳法の構え。能力を示すらしい数種類の数値が描かれている。hinomoto sakura と記された名前を見つつカードを返す。
「あかりもつけないでか」
「今きたばかりなんです。あとこの倉庫はちゃんと持ち主から提供受けてますから」
 幾分の疑いをもって山海は若者を見た。
「一応連絡先控えさせてくれ」
 若者は素直に連作先を告げた。それに習うようにほかの若者たちも住所を話す。
「これからどうするんだ」
「ちょっと」
 興がそられたとでもいうのか若者たちは山海の入ってきた入り口から出て行く。
「今日は終わりにします」
 若者たちはカードをしまうと、山海が入ってきた扉から出て行った。
 何か証拠になるものはないか、山海は周りを見た。カードが数枚落ちている。それを拾い上げて、山海はもう一カ所の出口に近づいた。そこには相棒がいるはずだった。
「おいおい」
 山海はうめいた。
 相棒の羽村健作は眠っていた。
 
 山海の家は盛り場の中にあった。
 もともと駅から離れていたが、街が膨張するにつれて普通の家は消え、ビルが建ち並び、気づけば山海の家だけが民家になっていた。
 誰もいない家は静まりかえっていて、部屋の中なのに息は白い。
 山海は居間にはいると、コタツをつけた。風呂場に向かい湯船に湯を溜める。
 電話が鳴った。
「山海さんひどいですよ」
 羽村だった。
「いい夢だったか?」
「ぐ。いや急に眠くなって。それでどうなりました」
「カードゲームで遊んでいただけだと。女子高生が戦うカードゲームだ。しってるか」
「そんなのたくさんありますからね。カードゲームってもうかるんですよ」
「そうなのか」
「原材料が安いのは分かりますよね」
「ああ」
「もともと紙じゃないですか。もし売れ残っても処分が楽だし、それに資産価値が低いから、不良在庫になりずらいんですよ」
「そうか」
 何か違和感を感じたが錯覚だったようだった。
「まあキャラの名前でも覚えていたら検索してみたらどうです。それで詳細わかりますよ」
「わかった」
 明日の予定を伝え電話を切った。湯船にお湯が満ちるまではまだ時間があった。パソコンを立ち上げて、HINOMOTO SAKURAと打ち込んだ。
 出てきたのは剣柄学園のHpだった。市内一の大きさを誇る学校であり、中学校から大学院を擁している。表示されたのは生徒会だった。現れたのは高校生らしい少女だ。先程のどこかコミカルな絵と違い実際の写真だった。副会長、日元桜と記されている。
 しばらく調べていても、他にはHINOMOTO SAKURAの姿は見えないようだった。
「この子がモデルなのかな」
 日元 桜 で調べると出てきたのは、個人のHPのようだった。写真が出ていた第24回上海交流戦とかかれた垂れ幕の下、どこかの体育館らしい様子が写っていた。その垂れ幕の下で、小学生らしい子供がうれしそうな顔で笑っており、その横で日元桜も同じように笑顔を浮かべている。
『大会で日元先生と桜師娘と』
 と記されていた。
 この名前をたどれば、日元桜にも会えそうだった。

 山海は駅に向かい歩いていた。
 昨夜調べていた上海交流戦。主催先は、日中武道交流会というNPOだった。連絡先は駅に近いビルだった。
 ビルは十階立てで、一階はコンビニになっていた。
 エレベーターホールに立ち、山海はビルに入っている会社名に素早く目をやった。二、三階は拳法の道場。四階〜六階は会社の事務所になっていた。七階に目的のNPO日中武道交流会の名前があった。
 山海はエレベータに乗ると、七階で降りた。
 日中武道交流会のドアをノックするが答えはない。仕方なく、山海は階段を降り始めた。三階に来たところで鋭い鈍い音がした。
 階段から下りて、三階を見ると、一人の少女がサンドバックを相手に拳を振るっていた。
 ただ、闇雲に動いているのではなく、仮想の相手がいるのか、時折離れ、軽いフットワークを見せている。
 山海の事に気づいた少女は、サンドバックを叩くのを止めた。そして振動しているサンドバックを手で押さえて動きを止めた。
「見学の方ですか?」
「いえ、HINOMOTO SAKURAさんですか?」
「何か、発音がおかしいんですけど、日元桜は私です」
「失礼。桜署の山海といいます。二、三お尋ねしたい事がありまして」
「天見くんの事ですか?」
 山海はさっと記憶の中を探ったが、心当たりはない。
「すいません違う用件です」
 桜は頷くのを待って、山海はカードを差し出した。
「実はですね、これをご存じですか?」
 山海はカードを差し出した。桜はカードを見て、ざっと裏を見る。
「これは。私がモデルですね」
「どうも何らかのゲームに使われているみたいなんですが、心当たりはありますか?」
 桜は首を横に振った。
「お力になれなくてもうしわけありません」
「ところで何か事件に巻き込まれているのなら、相談に乗りますよ」
「事件というほどの事はないのですが、同級生が行方不明になっていて。それが気になっています。前も暴力沙汰にまきこまれたのを見ていまして」
「その同級生の名前を教えていただけますか」
「天見四郎です。今写真を」
 桜は携帯を取り出すと写真を見せた。数人の生徒と食事をしている最中の写真だった。
「わかりました。捜査するかは確約はできませんが、注意するようにはします」
「私もこれを見つければ、連絡するようにします」
「よろしく頼みます」
 山海は一礼すると、外に出た。桜はついてくる。
「お送りします。何階ですか」
 エレベータは先ほど山海が乗った1階ではなく2階でとまった。
「さっきは1階から乗ったんですが
「2階にエントランスがあるんです。1階は一応コンビニと通用口なので」
 エントランスは広々としていて、このビルの印象を変えるのに十分だった。
「ここは一つの会社なんですね」
 桜は苦笑した。
「会社だけではないですが、父が道場やNPOなどいろいろ手を出していて、一箇所に集めてしまっているんです」
「なるほど」
 正面の自動ドアが開き、一人の男が姿を見せた。
 年の頃は五十あまり。顔立ちは整っているが目元に大きな傷が見える。動きはゆったりとしているが隙はない。
「父さん」
 桜が声をかけると男は笑顔を浮かべた。
「桜、早いね。そちらの方は」
「刑事の山海さん。勘違いしないで私には関わりのないことだったから」
「そういうとまるで疑ってくれといっているようだよ」
「本当に娘さんは関係ないことでした」
「しかし、刑事さんもお一人は大変ですな」
「いえ」
 そう答えたのが苦笑交じりになったのは、念頭に羽村があったせいだ。
「しかし、この街は物騒だ。単独行動は感心しませんな」
「それはどういう」
 山海が聞こうとしたところでスーツ姿の男がエントランスに姿を見せる。
「社長、清原さまがお待ちです」
「失礼」
 桜の父は一礼するとそのままエレベーターに乗っていった。
「嵐のようなんですよいつも」
 桜の言葉に山海は頷いた。

 早速というか予想よりもずっと早い。
 山海は夕闇に包まれる町を歩いていた。
 繁華街のネオンが点り始める中、山海が着いたのは寂れた路地裏だった。
 今までのやり方が通じなかった事は多かったが、今までの蓄積から通ずる事もあった。情報屋だ。
 繁華街にはそぐわない古びた古書店。そこが桜市で随一の情報屋だった。
「いらっしゃい」
 華やかな声だった。美人だが少しばかりカンが強そうな印象を受ける店主。髪は結い上げ、地味な紫の和服にエプロンをつけた様子は時代がかっている。
 レジの置かれた机の前に立ち、山海はいった。
「何か出物はあるかな」
「ええ、ありますよ」
 山海は無言で財布から万札を数枚取り出した。
「桜風会が総出で人を探しています」
 桜風会はこの地域を地盤とする組織だ。規模はそれほど大きくはないが、いわゆるインテリヤクザを多く傘下に持ち、この時代ならではのシノギの手段を持っている。そのせいか、あまり荒事をするのは聞かない。
「何かあったのか?」
 手が差し出された。山海は三枚置いた。
「スロットや電子系のシステムに干渉して荒稼ぎしたグループがあったそうよ。まだ、学生中心でリーダーは若いらしい」
 携帯が鳴った。着信を見ると羽村だ。
「どうした」
「ちょっとすごい数の乱闘騒ぎがあって、手が足りないんです。直ぐに来てください」
 羽村は駅近くの公園の名前を告げ、電話を切った。
「仕事にいかないと」
 山海はさらに万札を置いた。
「その話調べておいてくれ」

 公園は広さはそれほどではなく、ジャングルジムとベンチがいくつかある程度だ。盛り場が近い事から、夜間は出入りができないように四方に高いフェンスが張られている。それを逆手にとって、そこでストリートファイトを行うといううわさが前からあった。
 時刻は夕暮れだが、今回は早々に閉められ、そこで乱闘になったらしい。
 しかし、フェンスは壊され、本来の役目を失っていた。そしてジャングルジムまで車でも突っ込んだように壊れている。
 公園前の道には救急車が数台とまっていた。それに運ばれているのは、学生らしい制服を着た連中だった。
 その側にとまったパトカーの中に少年が一人座っていた。その横顔は桜に見せてもらった写真の通りだった。
「天見四郎」
「山海さん」
 山海に気づいた羽村が手をあげる。
「どういう状況だ
「乱闘というか。みんな半死半生ですよ」
「ホシはあいつか」
「それが震えていて話にならないんですよ。女性の捜査員か、少年課に来て貰えるように連絡しておきました」
 山海はパトカーのドアを開いた。
 座席に座る少年は巣に逃げ込んだリスのように小さくなっている。
「山海という。天見四郎だな」
 しかし声をかけると少年は顔を上げた。
 十代の初めは、まだ男女ともつかない顔をしているものもいるが、天見四郎は随分と女顔だった。
「天見四郎?」
 声も随分高く、洋画の吹き替えを思い出した。
 次の言葉を待っても言葉はない。凄んで見せようとすると、襟首を掴まれた。
「ちょっと山海クン、女の子相手なんだから」
 パトカーから引っ張り出された。そこには小柄な体を制服に身を固めた婦警。同僚の架寺幸が立っていた。
「女の子って、天見四郎だろ」
「清原百合涅さんです」
 

posted by 相会一 at 01:59| Comment(0) | BeforeBabel PANDORA | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

証明 prove 清原百合涅1













 桜駅についた、清原百合涅は、自分のポスターに気づき、慌ててサングラスをかけた。サングラスをかけたのは、顔を隠すためだ。隠しているのは顔だけではなかった。百合涅の日の光の中で、青みがかかったように見える髪。それも自分を目立たせる原因だ。それを隠す為に、ダイア柄のベレー帽を被った。
 清原百合涅はそれなりに有名人だ。笛子をはじめとした中国の楽器の奏者だ。百合涅は、朝のワイドショーで『天才少女』的に何度か取り上げられたり、海外での評価が高いことからそれなりに露出している。そして、貼られているポスターは来月、この街で開くことになっていたコンサートのものだ。
 百合涅は街を歩き始めた。
 桜市は、再開発の進む郊外のベットタウンだ。駅前には街の象徴である真新しい大型の商業ビルが、その向こうにはいくつか開発中の高層マンションが見える。
 駅前からまっすぐ道が伸びている。百合涅は暫く道なりに進むことにした。
 見えてくるのは、チェーン店と思われる飲食店。代わり映えはしない。
「このまま歩いていてもだめかな」
 百合涅は、一本脇に入った。一本道をかえると、急に雰囲気が変わった。
 時代劇に出てきてもおかしくないような商家や、改築に増築を重ねたような家が見え始める。
 どこかで魚を焼く匂いがした。
 百合涅は足を速めた。進んでいくと、その匂いを初めに、食べ物の匂いや、潮の臭いが混じり始めた。
 懐かしい。
 そう百合涅が思いながら歩くと、また風景は変わった。
 町が断ち切られたような雰囲気はかわり新しい建物が現れた。
 大規模な分譲地なのか、同じような雰囲気に統一された街並みだ。
 百合涅は周りを見た。
 いい天気なのにも関わらず布団一つ干されていない。まだこの街は売り出されていないのだ。
 きれいだが生まれていない街。そんな風に思えた。
 確か昔はこの辺りにはおいしい練り物屋さんや、佃煮屋さんがあった。
「天見四郎だな」
 恫喝を含んだ低い声だ。そのすぐに名前に振り返った。制服を着た学生らしい数人連れが立っていた。
「そんなナリでごまかされるか」
「小田はどこだ?」
 言葉だけではなかった。伝わってくるのは明らかな害意。百合涅は逃げ出した。
 人通りの多い駅前を目指して走る。先程まで狭いと思っていた町は広く、囚われたようだ。
 角を曲がれば、確か駅が。そう信じて足を必死に動かした。息が苦しい。でも、もう助かる。
 曲がった角。その向こう側には先程見たのと同じ制服姿が見えた。一斉にその制服が近づいてくる。
「捕まえたぜ」
 百合涅は力なく座り込んだ。だが、そうしてられたのは数える程だった。
 百合涅の体は両脇から掴まれ、力づくで立たされた。
「なにするの?」
「少し口が軽くなるところだ」
 
 引っ立てられるように来たのは三方をフェンスに囲まれた公園だった。
 そのせいで百合涅は少しだけ安堵を覚えた。もっと危険なところに連れて行かれると思ったからだ。
 しかし、公園の中を見て、それが誤りなのがわかった
 公園の中にいるのは、同じ制服姿の学生たちだった。
「こんなサングラスで変装したつもりか。髪も隠しやがって」
 学生の一人が百合涅の顔からサングラスを毟り取った。
「やめてください」
 声をあげると胸倉を捕まれた。
「てめえ何いってやがる。小田はどこだ」
「小田? 誰ですか」
「まあいい。嫌でも吐けるようにしてやる」
 開いていたフェンスの一方が閉められた。フェンスの中にいるのは百合涅と学生が一人になった。
 その一人が問題だった。背はそれほど高くはないが、横にがっしりとした体は筋肉が盛り上がって見える。腕の太さからして百合涅の腰程はあるだろうか。その顔には痣が見えた。
「小田とお前のせいで、俺たちは追われてるんだ。だからてめえには素直に吐いてもらうだけじゃたりねえ。心配するな命だけは助けてやる」
 男の腕が百合涅の腕を捻り上げる。
「噂程じゃねえな、何だこの細い腕は」
 さらに力がかかった。百合涅は悲鳴を上げた。男は笑った。
「女みたいな声あげやがって」
 腕を折られたら演奏ができなくなる。
 間近に迫ったリサイタルの事が頭をよぎった。
 回復するまでに、今までに得たものも失ってしまうかもしれない。
「止めて」
 自分でもびっくりするような大きな声だった。
「ならまずは小田の居所を吐け」
「しらないですそんな人」
「折れろ」
 不意に痛みは無くなった。
 腕が離れていた。
 だが、それ以上の驚きが百合涅を襲っていた。
 目の前には先程まで暴君のようであった男が、豚のような声をあげていた。 
「心配するな」
 その声は高く澄んでいた。
 立っているのは小柄な少女だ。年は恐らく百合涅と同じほどだが、小柄だ。
 髪は肩ほどまで。黒地に真っ赤な椿の描かれた花柄の着物。透きとおった肌は、この世のものではないようだ。
「誰だ」
 フェンスが開きほかの学生たちが入ってくる。数人は倒れている生徒に近づいて声をかける。しかし、男は悲鳴だ。
「腕折れてるぞ」
「何しやがる」
「命だけは助けてやる」
 少女は手を振った。触れたのか触れてないのかそれも分からぬほどの軽い手の触れ。それだけで受けた学生は地面に叩きつけられていた。
「お前も参加者か」
「まあ、そうもいえないことはないわね。このばかげでいて楽しい催しだけれど、少し飽きていた。ちょうどいい」
 少女に向かい学生たちは殴りかかる。だが、結果は同じことだ。
 塵を払うほどの容易さで、誰もが地面に横たわった。
 少女が近づくと悲鳴があがった。当然の事。それは少女の形をしているが嵐のようなもの。人では対抗しえない。
 残っているものに少女は向かっていく。恐れによるものか誰もが金縛りになったように動けない。
「逃げて」
 その声で、我に返ったのか、学生たちは逃げ出した。あれだけいた学生が、倒れている数人を残して消えていた。
「自分を害するものに声をかけて解いてやるなんて莫迦なこと」
 少女は百合涅を無遠慮に眺めている。
「それに、この程度のものの片付けもできないなんてがっかり」
 百合涅の脳裏に浮かぶものがあった。それは小さな神社の境内。
 近くに水場もないのに、水の女神を祭ったあの神社。
「あの時の爺は価値があったから、それに比す価値があると思っていたけれど、錯覚だったかな」
 百合涅の脳裏に浮かぶのはもう一人の自分のこと。
 エンジンの音が聞こえた。飛び込んできたのは一台のワゴンだった。ワゴンは狭い道なのに速度を落さずに向かってくる。
 その運転席に乗るのは制服姿だ。その顔は先程逃げたものの一人だ。何か叫んでいるが車の撒き散らす音に巻き込まれ聞こえない。
 目の前で少女はひかれた。
 その体が飛ばされ地面に転がっているのは大きな赤い花のようだ。
「びっくりした」
 そう見えたのは一瞬。ワゴンは停まっていた。いや、フェンスを突き破るようにして横転している。
 少女は何事もなかったかのようにそこに立っている。
「だいじょうぶ?」
 少女は百合涅の言葉に小さく笑った。
「何が?」
「だって」
 あなたは車にはねられて。そういいかけてから百合涅は黙った。それが自分の妄想かもしれないということを百合涅は考えていた。
 今の自分は混乱している。
「明日の事が認識はできているのね。これなら少しは楽しめそう」
 少女は百合涅に背を向けた。
 パトカーのサイレンの音が聞こえた。

 パトカーの中で事情聴取が始まった。
 婦警に向かい、誰かと勘違いされて巻き込まれた事を告げた。
「あなたみたいな女の子がこんな騒ぎを起こしたなんて思ってないから大丈夫」
 そう婦警は誠実な顔でいったが、百合涅は素直にうなずけなかった。
 殆どの被害はあの着物の少女のもたらしたものだ。
 身元の照合が済んだのか、婦警は百合涅から離れた。
 一人になって考えると少女の事が思い出された。
 自分はあの少女とどこかであった事がある。それはどこだったろうか。
 扉が開いた。
 婦警が戻ってきたのかと思ったが、「山海という。天見四郎だな」
 刑事らしい男だった。背は高くがっしりしているが、乗っている顔は日焼けこそしているが整っている。
「天見四郎?」
 ここに来て何度も聞いた名前。
 山海の顔に怪訝な色が浮かんだ。その山海の襟首が婦警に捕まれていた。
「ちょっと山海クン、女の子相手なんだから」
 そのまま山海は引っ張り出されていった
 そして少ししてまた扉が開いた。山海は手に写真を持っている。
「この写真はお前だな
 自分に似ていた。弟が同じように成長していたのが少し嬉しかった。
「違います」
「髪の色も同じだし、そっくりだぞ」
 小気味いい音が響いた。婦警が手をグーにして立っている。
「何してるのびびってるじゃない」
「こいつは天見四郎。ある事件の容疑者だ」
「今度この街でリサイタルを開く人よ。今日、朝所長から話しあったでしょ」
「今日は朝から出てない」
 刑事と婦警が言い合うのを見ながら、百合涅はいった。
「あの私は清原百合涅といいます」
 帽子をはずすと長い髪が広がった。それを見ると山海は黙った。
「その天見四郎さんに会いたいんです。もしかしたらその人は私の弟なんです」
「弟?」
「昔、私養女に出されて。その、何も知らせない約束をされていたようで養父母は何も教えてくれません。ただ、前この町を通りかかったら思い出して。それで訪ねてきたんです」
「それなら天見四郎の家にいってみるか」

天見家は現場から数分だという。山海が説明してくれたが、言われなくてもきっと分かったことだろう。
近づくに従って百合涅は懐かしい気持ちになっていた。商店街の一角ながら駅回りのように開発されなかった一帯は、時折モザイクのように新しいものがあるものの、見覚えのあるものが大半だ。
 見えてきたのは一段高いところに見える神社の鳥居だった。
 その神社に従って町ができてきたのが想像がついた。
 神社の脇にある小さな店。
 古書・骨董九十九屋と書かれているが、一番古いのは店そのものではないかと思われる店だ。
「あそこが天見四郎の実家だ。見覚えはあるか」
「あります」
 確かに百合涅はこの店を知っていた。
 祖母がよく家の前で竹箒を振っていた。そして今も店の前では一人の女性が掃除をしていた。
 車を止め、降りると、女性はすぐに気づいたようで、百合涅と山海に目を向けた。
「五花」
 そうつぶやいた後、女性は笑顔を浮かべ、「何か御用ですか?」
「天見四郎さんはいらっしゃいますか?」
 女性は言いかけてから黙った。何か考えているのが表情から見えた。
「今は留守で。何か御用ですか?」
「その」
 実際に何か言おうとしたら言葉に詰まった。
「桜署の山海といいます」
 山海が一歩前に出た。
「彼が行方不明になっているというのは本当ですか?」
 答えない女性の顔を見ていると、百合涅は懐かしい気持ちになっていた。どこで出会ったのか、はっきり百合涅は彼女を知っていると言い切ることができた。
「あの、私を知りませんか。私ここをしってるんです。この町、初めてきたけど、気のせいに思えなくて、ここにきたら本当に懐かしくて」
 一気にいう百合涅を見て、女性の目が潤んでいるのが分かった。間違いない。この女性は自分を知っている。
「ごめんなさい」
 それが一体どういう意味なのか。分からないが、百合涅もなきたい気持になった。迷子になった時のような気持だ。
 山海の胸元で携帯が鳴った。
「失礼。はい、天見四郎くんが。分かりました」
 山海は携帯をしまい、百合涅と女性を見た。
「天見四郎が見つかったようです」
posted by 相会一 at 10:41| Comment(0) | BeforeBabel PANDORA | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

証明 prove 日元桜1













 「功力が足りない」
 夜の公園に日元桜の声が響いた。
 金網に囲まれた公園は逃げ場がない。地元の学生が金網デスマッチといって、喧嘩の場にしている。
 桜の側には一人の男が制圧されていた。右腕を固められ、地面に押さえつけられている。
 年の頃は二十代を前半。夜だというのにサングラスに濃いグレーのスーツ。
 一見すれば少しばかり斜に構えたサラリーマンといえなくもなかったが、少なくとも素人ではなかったはずだ。
 正拳や、蹴りの感じから、恐らくは空手を習得していたはずだ。
 しかし、桜との相性は悪かった。
 桜の学んだ竜門禽拿術は柔の格闘技。加えて剛の技を使うものの方が多いことから、制するのは慣れている。
「どうして私を狙ったの?」
 答えはない。桜は腕を下げた。腕に桜の体重がかかり、苦しいはずだが男の顔色は変わらない。
「さすが六位ですね」
 桜は足元の男の言葉に一気に離れた。
「参加者?」
 その言葉に男は頷く。
「主催者の側ではありますが、参加しているともいえますね
「この馬鹿げた祭りの執行者に会えるなんて嬉しい限りだわ。勝手に人に番号をつけて、戦わせるなんてどういうつもり」
「あなたはかなり高名です。格闘家であり、桜市の名士日元家の娘。そして、正義の味方だ」
「そんなつもりはないわ」
「あなたが混乱を嫌い、夜な夜な、戦っているのは把握しています」
「今日はそれを止めに来たわけ?」
 大会を主催する側からすれば、桜の行為は邪魔以外の何者でもないだろう。戦闘に介入し、それを止めるのだから。
「いいえ。あなたはとてもいい働きをしてくれています」
 男は大きく首を横に振った。
「どういう意味?」
「より上の側の決め事でして。しかし、あなたは勝ち続ければ、彼女に会えますよ」
「どうして」
 言ってから小さく舌打ちした。弱みを見せたに等しい。
 この男は自分と彼女についての事をしっている。それならば、馬鹿げたこの戦いにも価値は見出せる。
 桜は真実かどうか見極めようと男をにらんだが、サングラスの向こうの表情は見えない。
「ところで正義の味方であるあなたにお願いがあるのですが」
 桜は答えずにただ男に背を向けた。
「人を救っていただきたい。それもあなたの知り合いですよ。剣柄の学生で名は天見四郎」
 桜は足をとめずに、思わず振り返った。そのまま男に近づく。
「どういうこと?」
「天見四郎は囚われています」
 男は真剣な声でいった。
「相手はヴァーシャクティ教団といいまして、いわゆるカルトです。白衣を身に着けて、山野の景観を脅かすのを見たことはありませんか?」
 数年前から時折マスコミに出る宗教団体だ。ヴァーシャクティ教団。インド伝来のものと称している仏教ともヒンドゥ教ともつかない教えと、仮想現実を組合した、新興宗教だ。
「その組織に彼は閉じこめられています」
「理由は?」
「彼には問題はないんですが、共闘している相手が問題でして。小田寿善といって、悪魔と契約していると言っている少年です。彼は教団の施設からあるものを盗み出しましてね」
「そういうこと」
 巻き添えとか、何も考えていない天見四郎なら十分にありそうな気がした。
「では後はよろしく」
 男はそういって一礼して歩き出した。
「どうしてそんな言い切れるの?」
「正義の味方じゃないですかあなたは」
 
 正義の味方。
 そういわれても、困るだけのことだ。
 正義の言葉の逆の言葉は何か?
 それは悪や非道ではない。正義だ。立場は心情が変われば、正義と悪は簡単に入れ替わる。そのことはわかっている。
 目の前には、男から渡された地図がある。場所は房総半島の奥。道もまともに通っていないように見える。
 地図を前に、眠れないまま一夜が過ぎた。
「よし」
 桜の心は決まっていた。
 山海仁吾に話す事にした。一人で考えるには大きな問題だった。
 山海が指定した待ち合わせ先は、天見四郎を初めて言葉を交わしたメクドだった。
 窓際の席に座り、ぼんやり外を眺めていた。そして出て行く四郎を見た。
 小柄な男子がいじめられている。そう思っていた。
 助けようと向かった先で見たのは圧倒的な力の差。とんだ羊の皮を被った狼だった。
 学校で見覚えがある。そう思って探すと直見つかった。特定の部活に属さず身体能力で、堅実なメンバーとして活躍している。それなのにも関わらず、目立ってはいない。
 その天見四郎が山海と歩いてくる。
「え」
 外に飛び出した。
 山海が桜に気づいて手を挙げる。その後ろからは天見四郎がついてきている。
「天見くん」
 そういって近づくと髪が長い。とてもよく似た少女だった。
「清原百合涅さんだ」 山海は頷き、小さな声で桜にいった。「似ているか」
「そっくりです」
 清原百合涅は困ったような顔をして桜を見ている。
「私は日元桜といいます。天見くんとは同じ学校です」
「清原百合涅です。姉です」
 後になるに従って声が小さくなった。
「それで天見四郎が捕まっている場所が分かったそうだが」
「そうです。ただ、自力ではいけないところなんです。熨斗畝ダムをしっていますか?」
 桜は地図を開いて見せた。
「遠いな。今から向かうと早くて夕方だな」
「信じてくれるんですか」
 山海は頷いた。
「目を見ればわかる」
 山海はそういってから桜と百合涅を見た。
「そこまでついてくる気じゃないよな」
 桜は頷いた。
「実はその地図は全部じゃありません。行くまで私はその地図を渡す気はありません」
 山海は仏頂面で舌打ちした。
「分かった。来て貰おうか。とりあえず格好からだな」
 
 山海が用意した車はサンドベージュ色のジープだった。
 ジープというのは颯爽と険路を駆け抜けていくイメージがある。いかなる悪路も一気に走破するその性能は確かで自衛隊でも利用されている。しかし、乗り心地がこんなに悪いとは日元桜は知らなかった。まして山海の運転は荒いことは無いものの、かなりの速度を維持したまま進む。
 同じように後部座席に乗る百合涅は平然とした顔でいるが、桜の方は少しでも早くつかないかと祈っていた。
「山道に入るから一応シートベルトしておいてくれ」
 山海がいいながら県道から脇に入る細い道を指差した。
 もう乗って三十秒後にはつけていたといいかけて桜は口をしめた。話していたら舌を噛む。
 それから三十分。狭い曲がりくねった道が続き、深い山の中だった。
 房総半島には険しいと呼ばれるような高い山は存在しない。しかし、起伏がないわけではなく、丘や谷と呼ばれる高低差はあり、それらが連続した場合、標高は低いながら、閉鎖された山深い一角を形作る。
 桜の前に広がる景色もそういうものであった。
 人の痕跡を感じないかといえばそうでもない。人目がないせいか、途中、産業廃棄物らしい、古いタイヤや、冷蔵庫といった廃棄されたらしいゴミを何度か見かけた。
 山海が行く前に、キャンプにでもいくような服装を用意して二人に着せたのが判る気がした。
 自分の制服や、百合涅の私服で、こんな森の中は歩けないことだろう。
 山海の携帯が音を立てた。山海はなれた様子で片手で携帯を取り出し、中を確認する。
「携帯が圏外になった」
 山海が呟いた。
 桜、百合涅、二人は携帯を出して確認した。二人とも確かに圏外になっている。
 山海はラジオをつけたがスピーカーから聞こえてくるのは雑音ばかりだ。
「ラジオの入りも悪いみたいだな」
「この辺りはそうなんですか?」
「俺もこっちにきたのは最近でね。くるのは初めてなんだ。そろそろカーナビで指定されたダムなんだが、案内して貰っていいか」
 木々が途切れ、空が顔を見せた。
 山海は車を止めた。
「あれがダムらしい」
 丘になった道から足元にダムが姿を見せた。
 ダムというイメージとは裏腹にそこはもとからそうである池のように見えた。
「これがダム?」
「戦前に作られたからな。どこかの企業がこの辺りで工場作るために水源として作ったそうだ」
「詳しいですね」
 山海がしていたことといえば、出発してから運転と、途中で休んだドライブインでメールしていたことくらいだ。その合間にこれだけ調べたということか。
「日本の警察は優秀って本当ですね」
 百合涅は毒気のない顔で言った。
「まあな」
 山海は答えた。
 桜はダムの周りを見ながら地図を取り出した。その地図が横合いからすばやく奪いとられた。
「悪い」
「どうして?」
「俺が助け出してくる。日元さんには別に頼みたいことがある」
「なに?」
「清原さんを護衛していてくれって」
「わたしはいけないんですか」
 百合涅が声をあげた。
「ここまできているだけで結構危ないんだ。その上相手は」
 そういって山海は黙った。
 何か桜が知らないことを山海はしっているはずだった。
「教えてください。相手は誰なんですか? ヤクザくらいなら慣れています」
「言い争ってい暇は無いみたいだ」
 山海は一人で道を下り始めた。
 緑の中に白い布が踊っていた。
 ヴァーシャクティ教団という名を桜は思い出した。
 白い服で身を固めた男が道に姿を見せた。
「失礼ですが、どちら様でしょう。この辺りは私有地でして、通行はできないのですが」
「ああ、失礼ちょっと釣りにね。そこの湖はでかい魚がつれるんだって」
 山海がいうと男は首を横に振った。
「それはデマですね。あの湖には」
 そのさまを見ながら桜は身をかがめた。足音を忍ばせて車から離れる。
 地図の内容はすっかり記憶していた。あれがなくてもたどり着ける自信はあった。
 森の中にまぎれて風が吹くたびに揺れる枝の音にあわせて移動する。
 ある程度車から離れたところで駆け出した。
「よし」
「足速いですね」
 背後で声がした。
 振り返れば百合涅だった。
「どうして」
「だって山海さんが日元さんに守って貰うようにって」
 いまさら戻れはしない。戻るにしても天見四郎を助け出してからだ。
「指示には従ってもらいます」
 百合涅は頷いた。
 桜は百合涅をつれて歩き始めた。
 目的地と思われる家についた。こんな場所にあるのにも関わらずおしゃれな横浜にでもありそうな洋館だった。
 桜は屋敷の前に立った。見張りの姿はない。こんな建物に本当に閉じ込められいるのか。そう思いながら桜は屋敷を見た。
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2009年04月12日

証明 prove 天見四郎2













 俺は誰だったろう。
 そんな事を考えていた。何か注射を打たれたのは覚えている。それから先は曖昧模糊としていた。ただ、それが何度目かといえば答えられない。
何かに答え、何かを拒み、注射。それがエンドレスで続いた気がした
「天見四郎さん、しっかりしてください。化学物質のような粗雑なものに破壊されるくらいあなたはシンプルなんですか」
 天見四郎、自分の鍵となる部分だった。
「天見四郎」
 呟いた。それは殆ど自分では呼ばない名であったが、錨のように重く自分をつなぎとめていた。
「もうポテトもミルクもいらないんですか?」
 揶揄する声。
「誰がそんなこといった」
 声に出した瞬間、世界が出来上がった。
 四郎は辺りを見回した。ホテルのような、きれいな絨毯と壁紙が目に入った。それほど広くない部屋だった。部屋の中は、夜なのか薄暗い。目の前に、簀巻きにされた人間が転がっていた。
「やっとお目覚めですか」
 その言葉に目の前でのたまわっているものに向かい声をあげる。
「小田寿。どうなってんだ。俺、お前を探している連中に追い掛け回されて大変だったんだぞ」
 大量のヤクザに終われ、家にも戻れず、町の中を徘徊したのを思い出した。そして疲れ切った時に、後ろから襲われたのだ。
「どうも僕のしていたことが、彼らのシノギの範疇だったようで申し訳ない」
「申し訳ないで済むか」
 怒鳴ると腹が鳴った。
「ここは?」
「さあ。しかし早めに抜けた方がいいのは確実ですよ。今夜にでも埋める気ですしね」
「なんだって」
 四郎は手の結び目を見た。両手を上げ、結び目を歯で引っ張る。
「脱出する気になったならいいんですよ」
 寿は簡単に縄から手を解いて見せた。
「どうして?」
「ちょっとしたテクニックです。人間何にせよ意識が問題ということですよ」
「早くといてくれ」
「分かりました」
 さっさと寿は縄を解いた。四郎は感覚を確認すべく、手足を振った。少しばかり重いが、痛みはない。
「これで問題なしだ。相手は何人だ」
「今は十人くらいですよ」
「勝てない数じゃないな」
 四郎は笑った。
「戦うんですか?」
「もちろん逃げる」
 四郎はそういって笑った。
 扉の向こうで床がしなる音がした。恐らく相手も自分の出した音に気づいたのだ。四郎は唇に指を当てると、寿は頷いた。
 部屋の扉が開いた。仮借ない拳の一撃。それは一瞬だ。絡め取られ、四郎の身体は地面に転がされていた。
「いた」
 床から見上げるとそこに立つのは日元桜だった。
「だいじょうぶ?」
「助けに来てくれたのか」
「仕方なくね」
 桜は不機嫌そうにいった。その桜の後ろで、前を覗こうというのか、ひょいひょいと頭が見える。その髪の色は自分と似ていた。
「ねえさん」
 その桜の後ろに立つ姿に頭は止まった。桜はそれに気づいて、身体をずらした。
 清原百合涅だった。
「四郎、こんな事して。相変わらず無茶ばかりなのね」
 百合涅は拳骨で四郎の頭を殴った。
「痛」
 そうして殴ってから百合涅は四郎を抱きしめた。
 寿は桜に視線を向けた。
「どうしてここが分かったんですか?」
「親切な人が、天海君があなたに巻き込まれて、捕まってるって教えてくれたの」
「それで助けに。正義の味方なだけはありますね」
「その言い方やめて」
「もうしわけない。では、逃げましょうか」
「二人とも」
 桜の声に、四郎は百合涅から離れた。
「あなた方は、二人は危ないですからね」
 寿の声は緊張を孕んでいた。
「お前たちどうして」
 現れた白服の男は叫んだ。
 桜が男の口を塞ぐ。
「まずいってこういうこと?」
 桜の手が男の首筋に触れるとそのまま動かなくなる。
「こっち」
 桜がいうと、寿は道の一角を指差した。
「こっちの方が見つかりにくいですよ」
 寿を信じて進むとついたのはキリスト教の礼拝堂を思わせる建物だった。
「ここ出口じゃ」
「あいつらが大切にしていものを人質にとろうかと」
 寿は一段高くなった座に飾られている石に向かい近づいていく。
「神聖な品に手を出そうとは」
 礼拝堂の中に数人の男が入ってきた。
 男たちはプロテクター、顔には完全防護のヘルメットをしている。
 その足運びから何らかの訓練を受けているのは分かった。
 それが五人。寿、百合涅は無理。桜と同時に動いても四人が限度だ。
 中の一人が銃を構えている。
「いいっていうまで目を閉じてください」
 寿が叫んだ。
 閃光が礼拝堂を包んだ。照明弾だった。
 四郎は誰かに殴り飛ばされていた。さらに転がったところをもう一撃。床に転がる。
 四郎が転がりながら、寿の声を聴いた。いや声というより呻きか。
 目をあけると桜と百合涅が座り込んでいる。寿を男が捕らえている。そして目の前には男。
 桜に、マイクを思わせる棒が突き出される。
「こっちは大丈夫だ」
 ついで百合涅に向けられる。
「何だこの汚染値は?」
「その石をとるんだ」
 四郎は床をけって飛び上がった。石はあっさりの手に中に収まる。何の変哲もないただのみどりの石だ。
「馬鹿それにふれるな」
 男たちのひとりが怒鳴った。
 自分の中から聞こえたと思うくらい近くで笑い声がした。
「見つけた」
 石が変形したように見えた。その石の上には少女がひとり立っていた。
 どうして、いつの間に、そんな疑問は考えられなかった。その場ひとりが彼女の舞台であるかのような圧倒的な存在感。
「美しき災厄」
「カロン・カコン」
 男たちが声をあげた。
「その名前を知っているなんて珍しい。3Pプランを知っている人間がいるのかしら」
 少女は床に下りた。
「お前は」
 四郎は拳を放った。その拳を受けると、少女は笑みを浮かべた。
「意をしっかり操れるようになったのね。子供の頃よりは楽しめそうね」
 神社の境内で姉を襲ったもの。それが成長した姿なのは直ぐにわかった。
 あれから数年でいかに自分が強くなったか知っている。その上でなお分かることがある。
 こいつの底が知れない。
「かかれ」
 男たちがパラボラアンテナを思わせるものを手に向かい合う。
「くらえ」
 光や音はなかった。だが、はっきりと少女の顔には変化があった。それは苦痛だった。
 少女は力が入らないようで床に座り込む。床に手をつけ、必死に立とうとするが。
「最大放出」
 少女の輪郭が崩れる。
「なんだこれ」
 今まで確実に人間であった少女がただの映像のようにリアルさを失っていく。
「もういられない」
 男のひとりが悲鳴を上げた。桜だった。
 桜の掌底が男をふっ飛ばしていた。そのまま容赦なく急所を狙いもう一人を倒す。
 それは桜の常のスタイルではありえない事だった。
 再びリアルさを取り戻した少女は立ち上がり、桜を見ている。
「ありがとう。あなたにはいつも助けて貰ってるわね」
 少女の姿は薄くなっていく。
「待て」
 四郎に向かい男が殴りかかってくる。その手には長い警棒が握られいた。
「邪魔するな」
 四郎の拳が男の警棒を折った。ようじを折るようにあっさりとしたそれは四郎自身も驚きだった。
 銃声が響いた。誰もが動きを止める。
「県警の山海だ。未成年者略取の容疑で逮捕する」
 刑事と思われる男の声が響いた。
posted by 相会一 at 16:28| Comment(1) | BeforeBabel PANDORA | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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