2009年09月20日

Labyrinth Flaneu1 出会いの街

 境界と呼ばれる街にディアン・チャイ・シーがたどり着いたのは、朝の通勤ラッシュが一息ついた、10時の事だった。
 ラッシュが終わった物の、人の流れはおおよそ駅に向かっており、降車して逆行していくのは、大人でも大変な事であるのに、ディアンからすればさらに難しい事だった。
 ただ、ディアンに気づけば多くの人は道を譲る。浮浪者と思われる垢に汚れた顔を、拾った物らしいワンサイズ以上大きいと思われる男物のコートを羽織り、手には百年過ぎていると言われても驚かない革の鞄。ただ、小さなディアンは人波に飲み込まれ、気づかない人の方が大半だ。
 人の流れがまばらになり、人影がない一角にディアンがたどり着いた。アーケードと『桜銀座』と書かれた看板こそ商店街っぽいが、開いている店は少ない。
 桜銀座に入って、ディアンは手紙を取り出した。手紙に記された住所にあるのは雑居ビルだった。
 『消失事件』以前から存在すると思われる雑居ビルはできて百年は過ぎているだろう。その証拠に入ってみると五階建てであるのに、エレベータは存在せずに階段だけが続いている。それも建物の真ん中に螺旋階段のあるタイプだ。
 ディアンは小さく舌打ちすると、階段を登り始めた。
 五分は昇り続けたろうか。五階建て程度の建物のはずなのに階段は終わる様子を見せない。
「架空建築か」
 架空建築。器の容積に対して、それ以上の容積を持つ建物はそう呼ばれる。異質技術、一般的には魔法と呼ばれる消失事件以降にもたらされた技術の一つだ。
 ディアンはコートから羅盤と漢字のびっしりと描かれたハンカチを取り出した。
「臨・兵・闘・者・皆・陳・列・前・行」
 読み取りつつ身体を動かした。まるで、半身が自由にならないかのように見えるその歩みだったが、建物全体が震えるように足音が響く。足音はその場だけにとどまらない。波紋のように回りに広がっていき、何かにぶつかれば波を返してくる。
「ここだ」
 目的とする場所はすぐ横にあった。
「できた娘だよお前は」
 声がした。階段の横に扉が見えた。扉には『社長室』と書かれた古びたプレートがつるされている。扉を開けて中に入ると、顔をベールに覆われ、喪服に身を固めた老婆が立っていた。
「お入りとはいってないけどね」
 いかめしい顔で老婆をいう。
「失礼しましたおばさま」
 ディアンがいうと、おばは近づいて、抱擁した。
「良くきたね。迷わなかったかい?」
「特には」
「てっきりまだ子供のあんただから、都会の楽しそうなものにひかれて、遅くなると思っていたよ」
「捜し物をしている時はそれ以外のものは見ないようにしています」
「それもいいかもしれないね」
 おばは小さく笑った。優しそうな笑みだが、それにも関わらずディアンは緊張していた。
 おば、チャイ・ファイは、黒社会の人間だ。道教系オカルトを武器にして、のし上がってきた。一度リタイアしたが、今では境界で、十本の指に入る組織『星灯照』を掌握する大師姐だ。
「シー、境界に来た以上いくつか守って貰いたい事がある。あんたには『星灯照』を引き継いで貰う。それを自覚して、行動して貰う」
「分かってますおばさま」
「よろしい。一つめは、命を大切にすること」
「分かります」
「よろしい。あたしの亭主と子供達は、それが分からずに、亡くなった。あんな思いはたくさんだからね」
「はい」
「二つ目はシックスに逆らわない事」
「シックス?」
「境界の大立者だよ。」

 おば、チャイ・ファイのリタイアの理由。伴侶であった男と、七歳になる娘を、消失事件で亡くした事だ。投機を生業としていたチャイ・ファイの伴侶であった日本人岡田輝男はとある仕手戦で勝利した。それによって大損害を被った黒社会の組織『栄華』は岡田一家を襲った。チャイ・ファイと娘は連れ去られた。それから数年、チャイ・ファイは娘を人質に苦界に身を沈めた。しかし、『栄華』が黒社会の争いでつぶれた時、娘がさらわれて直ぐに解体され、売買されたのを知った。亭主の岡田は、生きたまま海に沈められ、既にこの世に無かった。
 生きる気力を失い、彷徨ったところで、落ち着いたのが売春窟だった。そこで自分の悲劇がありきたりであるのを知ったチャイ・ファイは、『星灯照』を立ち上げた。
 亡き夫から得ていたスキルと、苦界での経験、そして家伝のオカルトが武器になった。そして数十年を生き、自分の跡継ぎが欲しくなった。
 だが、それは簡単な事ではなかった。かつて一つの国であった大陸は、分断され、人民軍を中核とした軍閥が争う、乱世となっていた。二十世紀初期のようにあからさまな植民地政策をとる国はなかったが、一匹の竜がいるより、蛇が多数いた方がよいというのが、世界の流れだった。その流れの中で、一族は散り散りになっており、見つけ出すのに数年がかかった。
 見つけされたのは小さな女の子。名前をディアン・チャイ・シーといった。
 ディアンはおばの家に落ち着いた。おばの家は、サラリーマンが住みそうな高くもなければ安くもないといった一般的なマンションの二階だった。その一室で、ディアンは『星灯照』の仕事をする事になった。
 仕事は、みかじめ料集めだ。『星灯照』へ、みかじめ料を納めるのは基本的に女性が店主の店ばかりだ。月々のみかじめ料も他の組織に比べれば随分と割安らしい。それもそのはずだ。人件費というのは、全ての仕事において、支出の多くを含む。それがほとんど半分以下なのだから当然といえる。
 ディアンは中華料理店「世界」に来ていた。中華料理こそ世界の中心という意味で名付けられたという、中華主義な店名だか、街に何件もあるような小さな中華料理店だ。
 店の中には数人の客がいる。その中を通り抜けて、キッチンにいる店主に声をかけた。線の細い年配の女性で、中華料理特有の火力のために、自分のうるおいまで飛ばされてしまったように見える女だ。
「ディアンちゃんがきてくれてから、随分とやりやすくなったわよ。前の人たちは、物静かで悪い人たちじゃないんですけど、どこかね」
「それより肉まんもらえるかな。お腹へっちまって力が出ないんだよ」
「ああ、ちょっと待っててね」
「悪いね」
 頭を下げて、長い年月の為歪んできているカウンターに寄りかかって外を見た。
「ところで、最近、何かおもしろい話はないかい?」
「おもしろいっていうのはなんだい?」
「シックス」
「はい、これ肉まんね。じゃあ、そろそろ稼ぎ時なんでね悪いけど」
 ディアンは肉まんを押しつけられ外に出た。
「みんな似たような反応するな」
 境界にきてから訪ねるシックスの事は同じような反応ばかりが返ってくる。名を呼べば、何か禍に巻き込まれるかもしれないようにだ。
 それでもいくつか分かった事があった。
 シックスは、6を示しているという。それは悪魔の数だ。神なきこの地では悪魔は神の異称ともいえる。つまりこの境界の神の如き男、それがシックスだという。神の名を妄りに呼べば災いを受ける。シックスの話を聞けないのはそういう類のジンクスだ。
 ディアンはまだ暖かな肉まんを食べ始めた。もっちりとした皮と、みっしりと入った豚肉がおいしかった。そのおいしさを味わいながらもぐもぐと口の中で味を楽しんだ。
 ディアンは十分あまりで食べた終えた。
「食べ終わったし、そろそろいいよ」
 ディアンは物陰に向かい言った。
 姿を見せたのは、大柄な中年の男だった。顔はサングラスをかけているせいかよく分からない。仕立てのいいスーツに身を包んでいるが、そのスーツが拘束具のように思える。身体の中から充溢した気が伝わってくるせいだ。この男の本質は鍛え抜かれた肉体だけではないのだ。
 ディアンは男と距離をとった。これだけ目の前にすれば威圧される存在なのにも関わらず、感じた気配はほんの少しだ。
 それだけで勝てないのが分かる。気配の制御、この体躯。今すべきは、逃走路の確保だ。
「悪くない判断だ。勝てないと分かればすぐさま逃走に入る」
「逃げるだなんて、ご用はなんです兄さん?」
 自分が小娘である。それを前面に押し出して、愛想良くディアンは笑みを浮かべた。
「最近、シックスを嗅ぎ回る、命知らずのネズミがいると聞いて顔を見に来た」
「嗅ぎ回るだなんて」
 この男はシックスのエージェントかもしれない。それなら、この言動も納得できる。
「外から来た人間なら、気になると思いませんか? まず境界にきて、危険だから近づくなっていわれる謎の存在。興味をもって当たり前じゃないですか」
「普通はその過程で止めるものだ。ここで『シックスは何者であるか?』と、問い続ければ明に、暗に、タブーなのを知るからな」
「鈍いみたいで、あたし」
「そうか鈍いか」
 男がいった瞬間、ディアンは反射的に後ろに飛んでいた。何も来ることはない。男も動かない。ただ、男の中で何かが変わったのを感じたのだ。それは刀の柄に手をかけたり、銃の安全装置を解除したり、そういったものだ。
 男は笑った。人の良さそうな、楽しげな笑みだった。
「十分な鋭さだ。その鋭さがあれば境界でも生きていけるだろう。そうそう、俺は竜門」
「『星灯照』のディアン」
「ディアン。電か。また会おうディアン」
 竜門は背中を向けて歩き始めた。

「今日はどうだった?」
「いつも通りだよ。割合に平和、みんなよくしてくれるし」
「そうかい」
 ディアンは立ち上がった。
「どうしたんだい?」
「ん。ちょっとね」
 マンションの屋上に上がった。ペットヤードになっている屋上だが、夕飯時のせいか誰の姿もない。
 ディアンは身構えた。仮想の敵は昼間の男、竜門だ。
 自身の主に使う五行掌法は柔の武術だ。恐らく竜門の使うのは剛の武術だろう。同じ力量の相手なら、剛柔ぶつかれば千日手になる。
 武功という点では、竜門は遙か上を行く。ディアン程度の柔では、薄紙を水が抜けるように突き破るだろう。
「あれをやってみるか」
 ディアンは手を軽く振った。試作中の武術。自分の持つシンボル(魔術要素)と掌法の混合。それを使えば少しは戦えるはずだ。しかし、それを使う隙を竜門は与えてくれるだろうか。魔術を発動するのは少しばかり間がいる。その少しばかりの間を竜門の手数から逃れることはできないだろう。
「天地人のうち、人で無理なら、天と地だよね」
 つまりは策謀となる。自分に有利で相手により不利な状況を作れば、差を取り戻せるということだ。
「お前はまだまだ」
「でも本当に必要なのは敵に回さない事だよ。勝てない相手なんだからね」
「おばさん、聞いてたの?」
 ディアンは驚いて振り返った。
「今日会ったんでしょ竜門に」
「しってるの?」
「あんたはまだ修行中。お前は、まだ試されているんだよ」
「人が悪いな」
 おばは笑い、そのまま真顔になった。
「もう私は、家族を無くすのはたくさんなの」
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posted by 相会一 at 19:41| Comment(0) | After Babel 迷宮の遊歩者 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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